毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集い、多彩な話題や事象を取り上げていくフジテレビのトーク番組『ボクらの時代』。

8月8日(日)の放送は、プライベートでも親交があるというカラテカ矢部太郎、天野ひろゆき(キャイ~ン)、ビビる大木が登場。

芸能界“最弱”集団「天野会」とは!?

天野:「ついにこの3⼈が!」って、今、テレビ⾒てる⼈、思ってるんじゃない︖

大木:思ってないです。

矢部:あはは。

天野:あの3⼈が、ついに一堂に会して…!

大木思ってないです。

⽮部:ちょっと、真ん中が僕っていうのも、これ、だいぶ…(笑)。

天野:今日は、矢部が俺たちを呼びつけたって設定だろ?

矢部:呼びつけた(笑)。

大木:もう、矢部太郎先生ですから。

ベストセラーとなったマンガ「大家さんと僕」が第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した矢部。そんな矢部が話したい芸人の先輩が、「天野会」の天野と大木だ。

まずは「天野会」のことを知らない視聴者のために、矢部が「天野さんを中心に集まっている、芸能界最弱集団」と、メンバー、その実態を説明していく。また、矢部は番組のために、3人を描いた絵を持参する。

父と過ごした少年時代を描いた最新作「ぼくのお父さん」を描くきっかけ

矢部の最新作「ぼくのお父さん」は、絵本や紙芝居を作るのが仕事で、いつも家にいて絵を描いている…そんなお父さんと過ごした少年時代を描いた作品。

矢部太郎が「ぼくのお父さん」について語ったインタビューはこちら!

天野:あのお父さんの実状を見たらさ…‟自称”絵本作家かな?

大木:あっはははは。

矢部:いや、やってます!

天野:やってた?俺、心配になっちゃって。お父さん、毎日家にいるんだ?

矢部:いましたね。

心配する天野に、矢部は父の代表作を説明するのだが…。

また、「大家さんと僕」のあとに「ぼくのお父さん」を描くきっかけになったのは、父からの、“あるひと言”だと明かし「お父さんのやっている講演会に僕もゲストで出させてもらったり…」と、矢部と父親との微笑ましいエピソードが語られる。

天野ひろゆき「一回も叱られたことない」亡き父への思い

矢部は、漫画を描くことで自身の子どものころを知り「今につながっていると思った」と語り、天野と大木に「どういうお父さんだったか、そういうのちょっと聞いてみたい」と質問する。

天野:ついね、3年か4年くらいになるかな、亡くなってしまったですけどもね。俺自体はね、本当にお父ちゃん子だったんだなって思うね。

矢部:へえー。

天野:一回も叱られたことないよ。

天野は、「勤続40年、無遅刻、無欠席で、自分にないことを全部やっていた感じ」と父親を回顧。

また、あることから「自分を犠牲にしている部分もあるのかなと思ったことがある」といい「だからこそ俺が、いろんなことをやりたいとか、自由にいったのを応援してくれてたんだと思うね」と、しみじみ語る。

一方、大木も「普通のサラリーマン」だった厳格な父親の下で育ち、芸能界へ進むことを「反対されました」と振り返る。

奇跡的な確率で20年以上続けられている

また、矢部は「奇跡的な確率で20年以上続けられている」と、芸能界での活動に言及する。

大木:そうだよ。本当だよね。本当にそう思う。

矢部:いろいろあって、何とかやれてますもんね。

大木:運だけよ、もう。

天野:でもさ、俺たちはまたコンビだからあれだけど、大木は一人になったわけじゃない?

大木:はい。

天野:で、矢部も、今は一人でやる形になってるわな?

矢部:そうですね。出るのは、もう一人で、ですね。

大木:でも「カラテカ」というコンビ名は残しているでしょう?

矢部:はい。

天野と大木は、コンビ名を残している矢部の真意を聞いていく。また、同じく「ビビる」というコンビ名を残したまま活動を続けている大木は、ピン芸人になったことを痛感した思い出を語る。

そのほか、著書がベストセラーになり、初めてまとまった印税が入ったときの矢部の心境、天野、大木が親になって初めてわかったという「親あるある」など、多岐に渡って語り合う。