第33回東京国際映画祭と国際交流基金アジアセンターの共催により、アジア各国・地域を代表する映画監督と第一線で活躍する日本の映画人がトークを展開する「アジア交流ラウンジ」。

11月1日(日)の回では、韓国映画「はちどり」のキム・ボラ監督と橋本愛が、モデレーターの是枝裕和とともにオンラインで語り合った。

©2020 TIFF

「はちどり」(2018)は、1994年のソウルを舞台に、自分に無関心な大人たちに囲まれ、孤独を抱える14歳の少女・ウニの姿を描いたキム監督の長編デビュー作。

「韓国から繊細な素晴らしい作品を撮る監督が登場した」とその才能を絶賛する是枝は、「キム・ボラさんが日本の役者で撮ることがあれば、橋本さんが出たりすればいいなと勝手にプロデューサー気分なんです」と2人を出会わせたきっかけを明かし、今回のトークショーがスタートした。

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「私は今、この世界に対して希望を持って生きている」(橋本)

キム:「はちどり」は喪失がテーマでもありますが、是枝監督のデビュー作「幻の光」(1995)で描かれた感情を参考にしています。それ以外にも「誰も知らない」(2004)で描かれた都市の風景や、是枝監督の静けさを湛(たた)えた演出にいつもインスピレーションを受けてきました。

橋本:私は、「はちどり」に本当に感動しました。急に別れが訪れたり、相手も自分も急に気持ちが変わったり、突然起こる何かに翻弄されながら懸命に生きているウニの姿に、自分の同じ年頃のことを思い出しました。

私も失ってきたものもあるし、傷つけてきた人もいれば、傷ついてきたこともたくさんあるけれど、今、この世界に対して希望を持って生きている。映画の最後の「世界は不思議で美しい」という言葉が、自分の今の感覚にものすごく重なって、涙が溢れました。

キム:私は常々、「生と死」を映画のテーマとして考えています。私たちは、毎日生まれて死んでいく。日が昇って沈み、月が昇って沈むように、人生も絶えずさまざまなものが繰り返し生まれて死んでいくのではないかと考えていて、それを映画の中に込めたいという気持ちで「はちどり」を作っていました。その思いを受け止めてくださったのを感じて、とても感謝しています。

橋本さんは「リトル・フォレスト」(夏編秋編・2014/冬編春編・2015)の秋編冬編の最後で、伝統的な日本の舞を踊られていましたよね。そのときの決然とした表情に、多くのことを経験して成長したことが表されていて感銘を受けたのですが、まるで「はちどり」と「リトル・フォレスト」2部作のエンディングが重なったような感じがして、今、とても感動しています。

橋本:「はちどり」で、ものすごく印象に残ったのが「つらいときに指を見る」というシーン。塾の先生がウニに教えてくれる生きる方法のようなことですが、どうしようもなく心が重くても、必死に体を動かしていけば、いつか前を向けるかもしれないと希望をもらいました。

あの言葉は、監督ご自身の経験や思想から生まれたものでしょうか。何かから得た発想なのでしょうか。

キム:そのセリフは、10年ぐらい前に知り合いのお姉さんから聞いた言葉でした。とても印象に残っていたので、その方に許可を取ってセリフとして使わせてもらいました。

人はつらいとき、巨大な助言が必要な気になりますが、実際には小さくても日常的な助言が力になることがあるのを、私自身、「はちどり」の準備中にも感じたんです。

ベッドから起き上がるのもつらい時期に、指を動かすという小さなアドバイスがいかに大きいことなのかに気付かされました。そして、1日をもう一度スタートできることも大きなことなんだと感じられたのもうれしかった。

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橋本:私も起き上がれない経験もあったし…(声を詰まらせ、涙が浮かぶ)、監督がその言葉から受け取ったものに、今、感銘を受けました。

私の死生観も監督と同じで、毎日死んで、毎日生まれている感覚があります。映画の最後に大きな出来事として橋の崩落が描かれていますが、ウニの日常として小さな橋の崩落がいっぱい描かれていた。

それが積み重なって成長していくのを見て、あの橋の崩落事故当時、監督はどんなことを感じ、今の監督自身にどうつながっているのでしょうか。

キム:ソンス大橋崩落事故(※)は、韓国で生きているすべての人々に共通するトラウマとして記憶に残っている事故だと思います。事故当時、私はその橋の近くに住んでいました。

※韓国・漢江にかかる橋の一つ、ソンス大橋が手抜き工事により崩落した1994年の事故のこと。32名の死者と17名の重軽傷者を出した。

実際に自分の家族や親しい友人を失ったわけではありませんでしたが、私の中で何かが死んでしまったことを強く感じましたし、「はちどり」の準備中に真っ二つになった橋の写真を見て、蓋(ふた)をしていた痛みが蘇りました。

「はちどり」の韓国公開時に寄せられたコメントの中に、「自分の子どもが生まれた日にソンス大橋が崩壊したので、子どもの誕生日になると、いつも思い出す」というものがありました。私たちは他人や世界と繋がっているからこそ、そうした苦しみや悲しみを自分のもののように感じたのではないでしょうか。

個人的には、「はちどり」を書いている時期に身近な人を失いました。いつ何があるかわからないと思ったからこそ、今日、自分が感じている愛する気持ちを、思う存分表現して生きていきたいと思うようになりました。

その喪失が人生を覗き込むきっかけになったわけですが、この映画では、その経験を通してどう生きるべきかも表現したかった。大切な人を失っても、その人の温もりは残っていて、これから生きていくうえでの力になっていくのではないか。ラストシーンには、この希望のあるメッセージを込めたいと思いました。

橋本:監督が描きたかった“人がつながっている”ということを、私は本当にそのまんま感じとりました。ウニが最後に崩落した橋を訪れて涙を流すシーンでは、天と地が線になってつながるような線が見えて。言葉によって人が精神的につながるのを感じましたし、それが無数に繋がっている世界なんだという希望と美しさに、私も涙を流しました。

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キム:私もそのような感覚を表現したくて、朝方に撮ることにこだわりました。事故そのものはとてもつらいことだけれども、また何かが新しく生まれてくるような胎動を、明け方特有の青白さとともに表現したかったんです。

橋本:ウニがチヂミを食べるシーンも印象的です。まだ噛んでないでしょっていう食べ方が、蜜を吸うために羽ばたきしているハチドリみたいで、愛くるしさも強い生命力も感じました。あの食べ方は女優さんから発信された演技なのか、それとも監督の演出なのか、気になります。

キム:(ウニ役の)パク・ジフさんには、「飲み込むような感じで食べてほしい」と話しました。パク・ジフさんの解釈であんなふうに食べてくれたんです。

「はちどり」には食べるシーンが多く登場します。寂しさや心の渇きを表すシーンでもあり、家族が食卓を囲んでいるシーンでは冷たい空気が流れていても、ある種の温もりを見出そうとしていて、それが何かの癒しとして感じられるようなシーンとして描かれています。

食べることが、実際に生きていくうえで人間の感情とどんなふうに繋がっているのかというのを見せたい、表現したいというふうに思いました。

「新型コロナは、息一つ一つまで人々に影響を与えうると、忘れさせないきっかけになった」(キム)

ここで、オンラインで鑑賞していた観客からも質問を受けることに。「コロナの前後で変化したことや変わらないこと」について聞くと…。

キム:映画館がなくなってしまうのではないかと多くの方々が心配もされていますが、そうならないことを望んでいますし、そうならないだろうと信じて希望も持っています。

息を通じて伝わっていく新型コロナウイルスは、私たちが空気を共有していることを再認識するきっかけになりました。クリエイターとしては、つながるということの重要な部分をこれまで見過ごしてきたのではないかと考えさせられました。

私が今後生きていく人生の上で、私の行動一つ一つ、息一つ一つが人々に影響を与えうるのだと、忘れさせないようにするきっかけになったのではないかと考えています。

橋本:物理的な変化はものすごく感じるんですけど、生きてる感覚としてはまったく変わらなくて。コロナによって死への恐怖が世界的に顕在化されたように見えるだけで、私のなかでは通常運転。お芝居をするうえでは何も変わらない。

唯一変わったのは、映画を見る観客としての意識。いつでも待っていてくれる場所だと思っていた映画館が、多くの人の血の滲む努力のもとにあると知った。今は、自分がちゃんと足を運んで存続に貢献しなければ、本当に消えてしまうかもしれないという意識が強くあります。

この前、半年以上ぶりにやっと映画館に行けたんですけれども、とても快適でしたので、これからもずっと映画館で映画を見たいなというワクワクでいっぱいです。

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会の終盤、「ウニの日常にも、毎日小さな橋が崩落している捉え方をされていて、それがとても印象に残った」と、「はちどり」の感想を語った是枝。

「それは、決して14歳の少女の中でだけ起きてることではなくて、今私たちが日々直面している状況だとも思います。そんな状況の中で、この映画祭とこの交流ラウンジが、誰かと誰かの何かと何かの間に橋を架けるというような行為につながっていく時間になっていたら、とてもうれしいです」と、締めくくった。

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