「TAKEO KIKUCHI」のデザイナーからアーティストへ転身したyuta okudaは、きめ細かい技法によって自然の美しさを描いている。
「絵画は裸の自分を見せること」と語る彼がもっとも重要視するのは、自分に嘘がないか、正直に絵を描けているかどうかというポイントだ。
新進気鋭のアーティストの考え方に迫るシリーズ企画「アートに夢中!」。今回はyuta okudaに、アーティストの道に進んだ経緯とその制作姿勢について話を聞いた。
――デザイナー出身だそうですが、アーティストになったきっかけは?
きっかけは色々とありますが、第一にはきっと、「アーティストになりたい気持ちが強かったから」だと思います。デザイナーとアーティストとでは、全く性質が違いますから。
デザイナーとしての私は「柄に力を入れる」類の、非常にクリエイティブ志向の強いタイプでした。でも商業デザイナーに個性は求められない。決まったデザインを、決まった通りに、決まったスケジュールでこなしていくことが必要。それが、思ったよりもストレスだった。だからスタートは「ただ自分の描きたい絵を描きたい」という、本当にそれだけだったと思います。
――そう考えて、すぐに絵を描き始めたのですか?
いいえ、最初は自宅で描いているだけでした。ストレス発散の意味合いが強かったですね。ただひたすら描く。今見返すと、その頃の絵は、すごく密度が高く見える。必死というか、鬼気迫る印象という方が近いのかな。
本当にストレス発散だったし、負の感情を吐き出している感じでしたね。人に見せることなんか考えても見ませんでしたね。全く、これっぽちも。言わば毒素ですから、自分の(笑)。
――それでも発表活動、プロのアーティストとしてのスタートを切ったのはなぜですか?
認めてくれた人たちがいたんです、私の絵を。自分のネガティブな部分が丸出しになった絵を「いいね」と言ってくれる人たちがいた。驚きでしたね。
驚きだったし、有り体に言えば、気持ちが良かった。商業デザイナーでは、そんなこと絶対にないですから。ファッションでは取り繕いをしていたけど、絵画は裸です。その部分を見せて、評価してもらえたことが嬉しかった。
そんな時期に友人のアーティストを見たりして、その姿に嫉妬し、「自分も」と考えました。アーティストを目指したいと思ったのは、だから嫉妬心かも。それでもやるならプロとして、趣味ではなく、生半可な気持ちは捨てようと思っていました。やるなら、徹底的にやろうと。
――細密画の技法をベースにした生き物のペインティングが多い印象ですが、作品について簡単に教えてください。
自分の作品は全て、無意識の自己投影と自己解釈がベースになっています。無意識のレベルで生き物たちの単体の作品を思い浮かべ、それを意識レベルで般若やマリリンや狛犬など、具体的な形にしていきます。
無意識で描きたい題材は、常に花や生きもので、そこから美と醜、愛と嫉妬、生と死など相反する二つのテーマを1枚の中に表現しています。モチーフは常に生きものたちで『beautiful foodchain』をコンセプトに、自然の摂理の美しさを描いています。
作品の表現手法は、ここ数年で、線のみの計算された細密画から、墨のにじみを使った偶然性を線画で活かした作品へと変化してきていますね。環境や心の変化が大きく影響だと思うのですが。細かい線画を描く理由は、おそらく気質だろうと思いますね。
――制作のプロセスは、当初から「無意識→意識」のように定まっていたのですか?
最初の頃は、ひたすら描く、に尽きますね。平均したら1日15時間くらいかな。3日間描いて半日寝るとか、とにかく吐き出そうと思ってひたすら描いていました。溜まっていたもの、湧いてくるものを全部吐き出したら、ようやくコンセプトが見えてきた。それが「自己投影」だったんです。
ファッションとは逆の順序ですね。向こうではコンセプトのメイキングが先にあって、そこから組み立てていましたけど、私がアートでやっているのは自分自身を発見していくこと、つまり一番正直な自分を出すこと。どれだけ裸になれるか、どうやってその部分を引き出すかが重要になってくる。
自分の経験がどういった形でアウトプットされるか、それを見てみたいんです。
――自身の経験がベースだと、大変ではありませんか?
最初の3年で尽きましたね(笑)。30年の人生が、3年で底を突いた。でも、それは上澄の30年に過ぎないと思っています。もっと掘り下げられると思うんです。
自分の本質が何か、自分のベースが何か、この3年で自分の30年を振り返ることが出来た。3年かけて、ようやく自分が分かってきた気がするんです。だから、これから色んなものを取り入れ、新しく作っていく。今は第二のスタートに立っている気分ですね。
――最近では墨を使用した作品などが増えていますが、作品の変化は意図的なものですか?
私の作品は、やはり、私自身と連動しているから自ずと変わりはするんです。物質的にも精神的にも、昔と全く同じような絵を描けと言われても、それはすごく難しい。
変わりはするけど、でも言えることは、今自分がやっていることに嘘がないということ。本当に疑問が湧かないんですね。私の絵はいかに裸になれるか、自分に正直になれるかが重要。だから、それを基準に考えるのであれば、今やっていることに間違いがないことは断言できると思います。
制作や技法のことを言えば、まず大作や多作の点が課題ですね。以前は絵を描いて食べられること自体が幸せでしたが、今は目標をより上に置いているせいもあり、今後は作品の点数にも気を付けていきたい。
他にも、素材については常にアップデートをかけるように心がけていますね。水彩も試したし、銅版も油彩も、日本画も、あとは粘土など色々と試した。その結果、自分の性質に合うのが墨だなと。模索しながら、自分にフィットする方法や素材を確かめている感じです。
――次の目標は、具体的に見えていますか?
私の作品は自己投影なので、やはり、将来のビジョンの全てがはっきりとはしていません。言えることは、それでも自分に嘘はないということ。制作では裸でありたいし、正直でありたい。だから自ずと出て来る自分の経験を活かしたいですね。
私の絵は、無意識のレベルで言えば常に花や生きもの、その美と醜や生と死に言及しています。自分の見たいもの、見ようとしているもの、絵画として描きたい者が少しずつ明確になってきている。ようやく空っぽに慣れたので、これからは様々な経験を取り入れ、それを絵画に練り上げていく仕事が待っていると思います。
多分、絵はどんどん変わっていくと思います。今の私と、絵を描き始めた当初の私は違う。昔は「とにかく描きたい」という、ただそれだけだった。もっともっと鬼気迫る状態だったと思います。
今はまた少し違うかな。だから昔のような切羽詰まった雰囲気ではないかもしれません。でも、変わる部分があることが悪いとは思わないんです。むしろ環境や自分の変化を理解しつつ、取り入れ、いかに自分だけの絵画を描いていくかを考えていきたい。
どう変わっても、私の場合は自分の活動に嘘がなく、疑問がなく、正直であるならば大丈夫なんです。私にとって絵は一番の裸の部分、正直な部分を見せることですから。
yuta okuda
ロンドンへ留学後、ISTITUTO MARANGONI ロンドン校 ファッションデザインマスターコースでディプロマを取得。帰国後、ファッションブランド『TAKEO KIKUCHI』にてファッションデザイナーとして勤務。退社後は、ファッションデザイナーとしてではなく、アーティスト『yutaokuda』として活動を開始。繊細な線と滲みを駆使し、花や生き物をモチーフに食物連鎖など、自然の摂理の美しさを描いている。時には、生と死や美と醜などの相反する両面を騙し絵などの手法を用いて描いてもいる。現在は、個展やグループ展など国内外問わず積極的に作品を発表し続けている。