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【オヤジンセイ】美川憲一〜前編〜「私、本当は歌手になりたくなかったの」_site_large

【オヤジンセイ】美川憲一〜前編〜「私、本当は歌手になりたくなかったの」

めざましmedia編集部

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さまざまな世界で活躍しているダンディーなおじさまに、自分の人生を語ってもらう『オヤジンセイ~ちょっと真面目に語らせてもらうぜ~』。

年を重ね、酸いも甘いもかみ分けたオトナだからこそ出せる味がある…そんな人生の機微に触れるひと時をお届けする。

2回目のゲストは、今年デビュー55周年を迎え、新ユニットを結成し作詞にもチャレンジした歌手・美川憲一(73)。数奇な運命のもとに生まれ育ったその知られざる生い立ちから、19歳でデビューし、浮き沈みを経験しながらもたくましく、そしてしなやかに生きてきた歌手・美川憲一の人生を前編・後編に分けて送る。

もしかしたら私は生まれてこなかったかも

改めて自分の人生を振り返ると、不思議な運命のもとに生まれてきたと思うのよね。だってもしかしたら私は生まれて来なかったかもしれないんだから。

私には「生みの母」と「育ての母」、つまり2人の母親がいたの。しかもそれが実の姉妹でね。育ての母である姉は奥ゆかしくて、生みの母の妹ははっきりモノを言う性格と正反対なタイプで、地元では美人姉妹だって言われていて。

画像ギャラリー【全6枚】を見る 美川憲一の生みの母

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美川憲一の生みの母(20歳前後)

ある日、以前、乗り合わせた汽車で知り合った男性が訪ねてきて「妹さんとお付き合いさせて下さい」って。本当は姉の方がタイプだったみたいなんだけど、彼女は結婚していたから、妹(生みの母)へアプローチしたみたい(笑)。そして、二人は交際を始めたのね。

その男性は神田で会社を経営しているらしく、余裕のある感じだったんですって。ほどなくして母が私を身ごもったんだけど、妊娠を告げた時、彼はあまりいい反応をしなかった。ある日、その男が「これを飲むと元気な赤ちゃんが生まれるから」と言って粉薬を持ってきたんだけど、母はなんだか“嫌な予感”がして、その場では飲まずに捨てたのね。後でわかったのだけれど、それは流産する劇薬のようなものだったらしいわ。

結局、その人はそのうち家に来なくなって、母は一人で私を産んだのね。ちゃきちゃきとした性格で、なんでも「こう!」と決めたら突き進むタイプだった母は、生まれて間もない私を抱えて彼の実家に乗り込んで行った。そうしたら、すごいお屋敷で。出迎えた奥様らしき女性にすべての事情を話したら、その人が土下座して謝って。母もそれ以上は諦めたんだけど、ショックから体調を崩して肺結核を患ってしまい、慰謝料を半分に分けて私を姉に預けたの。それが2歳の時だったわ。

私を大切に守ってくれた「生みの母」と「育ての母」

画像ギャラリー【全6枚】を見る 美川憲一

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5歳になって実の母が私を迎えに来てくれたんだけど、その頃にはもう育ての母のほうに懐いていたから大泣きしたのよ。母も仕方ないからそのまま私を預けることになった。

その頃、育ての母と父(義父)は、知人の作った借金のせいで差し押さえの赤札を家のあちこちに貼られて暮らしていたのよ。義父はそれが元でノイローゼになって脳溢血で亡くなってしまって。育ての母はそれまでしたことなかった保険の外交員や料亭の仲居さんをやって必死に働いて返済したの。

画像ギャラリー【全6枚】を見る 美川憲一の育ての母

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育ての母は保険の外交員などをしながら借金を返済

生みの母は私が芸能界に入る少し前に「あんた本当はこの世に生まれなかった子だったのよ」って教えてくれたけど、普通、実の子にそんなことわざわざ言わないわよね(笑)。そういうこともあって、私にとって「父」はまったくと言っていいほど面影がないの。後年、『夜のヒットスタジオ』のご対面コーナーで実父と再会したけど、もう震えて歌どころじゃなかったわよ。テレビ局ってホントよく見つけてくるわよねぇ。

とにもかくにも、「2人の母」になんとか楽な暮らしをさせて恩返しをしたいと思ったのが、私が芸能界へ入るただ一つの動機だったの。

生みの母と同じ…「いつも勘で決める」人生

やっとデビューの話に入るけど(笑)、そもそも最初は俳優志望だったのよ。高校を中退して清掃員やウエイター、郵便局のアルバイトで学費を全部稼いで東宝芸能学校に通って、大映ニューフェイスというオーディションに合格して。

でも歌手としてもデビューしないかって声をかけられて、最終的に俳優か歌手かどちらかの道を選ばなければいけなくなった時、「チャンスだ」と思って歌手になることを決めたの。そこはもう勘で突き進むしかないって。生みの母に似ているのよ(笑)。

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デビュー当時の美川

実は2人の母は女優志望だったこともあり、私に期待していたのね。「あんた、俳優になるんじゃなかったの?」って言われたけど「売れればお母さんたちに楽させてあげられるんだから!」と。怖くはなかった。だってその前に家財道具全部差し押さえられてるんですもの(笑)。私の心の中に今でもどこか冷めてるところがあるのは、その体験も大きいわね。

そして古賀政男先生の指導を受けて無事『だけどだけどだけど』(′65年)でデビュー。当時は曲のタイトルに地名を入れる“ご当地ソング”っていうのが流行っていて、『柳ヶ瀬ブルース』(′66年)もそこから生まれたわけだけど、古くさくて退廃的に感じられて、歌うのが嫌で嫌でしょうがなかった。だから事務所の社長に断ったら「ヒット曲もないくせにふざけるな!」って激怒されて。母に話したら社長の前で土下座して一緒に謝ってくれたの。仕方なく私も頭を下げたけど、腹の中では「こんにゃろー」って思ってた(笑)。

いざレコーディングしてみたら「若いのにこんなに冷めてるなんてすごい」「求めていたのはまさにこのイメージだ」なんて絶賛されて。ただ単にこういう歌が嫌だっただけなのに(笑)。そこから『新潟ブルース』(′67年)『釧路の夜』(′68年)とヒット曲が続いて、おかげさまで紅白歌合戦にも出場することができて(※′68年『釧路の夜』で初出場)。

私自身は自分がやりたいことを是が非でもやりたいというより、「どうぞ好きなようにさばいてください」っていうタイプなのよ。そんな中、『みれん町』(′70年)『おんなの朝』(′70年)『お金をちょうだい』(′71年)と、女の本音を歌う路線に。

私の代表曲とも言える『さそり座の女』(′72年)だけど、この曲はもともとB面に収録する予定だったの。でも、今までどこか冷めていた私が「どうしてもA面にして欲しい」ってレコード会社に頼み込んでA面にしてもらって。♪いいえ、私は〜なんて否定から入る曲なんてないじゃない?「これは残る歌だな、いける!」って、勘が冴えた瞬間だったわ。

スランプの時…再び勘が働く コロッケに「私のものまねしなさいよ」

その後、しばらく経ってからスランプに陥っていた時、なぜか「私の時代が来たかも」って胸騒ぎがして。仙台の有名な占い師さんのところに確かめに行ったの。そうしたら「あなたの後ろに御光が差している」って(笑)。

当時、お付き合いをさせてもらっていたコロッケに「あんた、私のものまねしなさいよー」って自分から提案していたの。彼はまだレパートリーも少なくて「え〜美川さんのまねは難しいですよ」なんて困っていたんだけど、実は練習してくれていたのよね。

そうしたら、フジテレビのものまね番組からオファーが来たの(′89年1月放送『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』)。今では当たり前のようになった「ご本人登場」の先がけだったわけだけど、歌手がバラエティー番組に出るって昔はあり得ないくらいのことだったのよ。でもその時、私は「これはチャンスかもしれない」って、また勘が働いたというわけ(笑)。

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コロッケに「私のものまねしなさいよ〜」と提案した当時を懐かしむ

出演することは誰にも秘密だから楽屋も用意されず、衣装に着替えたまま車の中でずっと待機しなければいけなかったけど、久々のテレビだし「しっかりしなさいよ!」と自分で自分に気合を入れてね。毅然として「コロッケさんがものまねしてくれて嬉しいです」なんて媚は絶対売らなかった。あえて“逆を言おう”って決めていたから、「いい迷惑よ!」とかね。

それがもう、ありがたいことにバカうけして。尊敬する淡谷のり子先生も審査員席で手を叩いて大笑いしてくれて。「これで終わる手はないわ」と思って、終わった後でコロッケに「ジョイントやらない?」って提案したの。2人で大阪城ホールや日本武道館でもコンサートしたわよ。

そしたら今度は「タンスにゴン」のCM(′90年)でちあきなおみと共演することになって。人気CMだし、ちあきさんもアクの強いキャラだったから一瞬、戸惑ったけど「あの女を食うのはアタシしかいない!」と思って出ることを決めたの(笑)。私、運動嫌いでそれまで一度も自転車なんて乗ったことなかったけど「このチャンスを逃してなるものか」と思って、休憩時間にこっそり練習して。

撮影がすべて終わって市川準監督からは「さすが美川さん、あのヨタヨタ感が上手いですね」って絶賛されたけど、初めて自転車に乗ったことは最後まで言わなかったわ(笑)。でも、そこから世界が変わっていったのよ。

波乱万丈という簡単な言葉ではとても表せない美川さんのジンセイ。後編ではさらに深い所まで迫っていく。

(取材・文/中村裕一 撮影/藤本和典)

お守り:タイガーアイ「私の中のエネルギー」

「悪い気が寄ってこないように、払いのけるように、と常に服のポケットに入れて肌身離さず持っている私のパワーストーン。ファンのみなさんと握手するとけっこうエネルギーって取られるのよね。だからこれを握り締めて自分にもパワーチャージしているわ。たまに失くしてしまいそうになるのだけど、不思議とちゃんと見つかるのよ、すごいでしょう。」

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