2011年3月11日に発生した東日本大震災から今年で12年。改めて、当時を思い、“知り続ける”ことの大切さが見直されています。発災当時、取材・報道の現場で「伝え続けた」テレビ局のアナウンサーたちは今、知り続けることの大切さについて何を思うのでしょうか。
奥寺健フジテレビアナウンサーは、発災してから3日間フジテレビのスタジオから報道し続け、「しゃべりながら状況を理解していくしかなかった」と当時を振り返ります。
当時の状況、伝えるということ、震災を経て起きた報道する側の変化について聞きました。
<奥寺健アナウンサー インタビュー>
――2011年3月11日、震災発生時のご自身の状況を教えてください。
昼のニュースを担当し終え、アナウンス室に戻り一息ついているときに大きく揺れました。少し揺れが収まった時点で、青海の建築中のビルで火災が起こったので「とにかく取材に行け」ということですぐに向かいました。これだけ大きな地震だったのだから津波が来るのではと不安もあり、湾岸スタジオの屋上からカメラを回そうとなったときに、今度は「千代田区の九段会館で天井が落下したからそちらの取材へ」と連絡があって。湾岸スタジオの前にタクシーが停車していたので取材クルーと乗り込み、現場に向かいました。
しかし、すでに携帯はつながらなくなってしまっていて、道路も渋滞し、レインボーブリッジの上で足止めされながら3時間くらいかけて九段会館にたどり着いたと思ったら、今度はすぐにフジテレビに戻ってきてくれと連絡が。
スタジオでは、キャスターの安藤優子さんと境鶴丸元フジテレビアナウンサーが緊急特番を続けていました。「夜10時までは頑張るから、そこからは頼む」ということで、急いで戻ってスタジオを引き継ぎました。そしてそこから3日間、フジテレビから一歩も出られない籠城生活が始まったんです。
僕は入社してから30年間、毎日手帳をつけているのですが、それによると、とにかく3日間ずっと会社にいて。4、5時間特番でしゃべったら、5、6時間寝て、次の5、6時間で寝ていた間に起きたことをキャッチアップして、また特番でしゃべる。そういったことを4交代くらいで続けていたようです。
外で何が起きているのか、どういう空気なのかまったくわからない。画面からしか状況を知ることができない。まるで潜水艦の中にずっといたような感覚でした。経験したことのないような大きな揺れと、見たこともないようなスケールの津波の映像と、福島第一原子力発電所の問題と。とりあえずスタジオから伝える「情報」はあるけれども、それが何を意味するのか、イメージと解釈が追いつかない状況の中で、しゃべり続けていましたね。
何を言っても冷静に伝わっていかない状況の中で
――そんな状況の中でも奥寺さんは冷静に報道をしていた印象があります。実際の心境はどうだったのでしょうか?
あのときに、初めて「シーベルト」(人が受ける被ばく線量の単位)という言葉を聞きました。でも、シーベルトが何なのかということもしゃべりながら理解していくしかなかった。原発の専門家がスタジオにいてくださったので、自分も伝えながら「どういう意味ですか?」と聞いて勉強していく。想定できていなかったので事前に勉強できていなかったんですよね。
原発が水素爆発を起こした様子を他局が放送したのを、スタジオでチラッと見たときに、一緒に特番をやっていた梅津弥英子フジテレビアナウンサーが、「奥寺さん、私たち死んじゃうんですかね」って聞いてきたことを覚えています。そんな言葉をリアルに聞くなんてと、まるでドラマの中にいるような感覚でした。
視聴者の中には“水素爆発”と“水爆”の違いがわからない人もいることがわかり、何を言っても冷静に伝わっていかない状況ですし、こちらも素人ですから、専門家が言ったことをとにかく噛み砕いて伝えることしかできませんでした。
――実際の取材ではいつ被災地へ行かれたのでしょうか?そこで印象的だったことを教えてください。
3月中は昼の『FNNスピーク』、4月からは夕方の『FNNスーパーニュース』と、平日は常にスタジオ対応が中心だったため、自分で行くことにしたんですよ。やっと行けたのは4月頃で、知人が住んでいる茨城県の神栖市に路線バスを乗り継いで行ったんですけれども、バスの中は自分を含めてまるで戦時中の闇市のような、荷物をたくさん抱えた人たちでいっぱいでしたね。
その後、福島県と宮城県、岩手県にも行きました。印象的だったのは、気仙沼に行ったときに現地の方と一緒に街中を回っていたのですが、帰りにタクシーを呼べたので気仙沼駅まで乗せていただいて最後にお金を払ったら、運転手さんから「これ持ってけ」って昆布を渡された。僕らは現地の方から物をもらってはいけない、特に被災地の方からもらうなんてとんでもないからとお断りしたら、「もう昆布が採れなくなるから持っていってくれ、これが最後の昆布だ」っておっしゃった。
やはりそこにいる人たちがどういう思いをしているのかということは、現場に行ってみて初めてわかるんだと、そのときに実感しました。「取材に来られるの嫌でしょう?」って聞いても、「それでも、やっぱり来てくれないと伝わらないことがあるから」と言ってもらったことも印象に残っています。
仕事で現地に行く機会は決して多くなかったので、毎日ではありませんが、朝の東京電力の定例会見に行ってから出社していました。毎日いろいろな広報発表があって、現場の担当者に質問しているうちにある程度詳しくなって。仕事ではありませんでしたが、ニュースを読む際に「どういう意味でこういう発表をしたのか」ということは自分なりに踏まえることはできました。取材って、定点観測をすることも大事なんですよね。
情報を“消費”ではなく“我が事”に、教訓を得て変化してきた報道の現場
――震災から12年が経ちましたが、伝える側としての変化は感じますか?
変化しなければいけないですよね。結局、あの震災での我々の1番の教訓は津波の報道だと思っています。それまでの災害報道は、起きたことを伝えるものでしたが、津波に関してはこれから起きることを伝えて、行動に移してもらう必要があった。とにかく命を守る行動をとってもらうために、どのくらい言語化できたのかと今でも考えますし、アナウンサーの現場でも、そういうことはできるだけ共有をしているつもりです。
「伝えた」で終わらず、「伝わった」に変わらなければいけない。では、「津波が来るぞ!逃げろ!」と、ただ強く言うことで本当に伝わるのか、今でもよく議論がなされていますが難しい問題です。
伝わるように伝える場合、納得を目指すことが大事。そのためには“伝え手”が信用されていないといけない。「あの人が言うなら耳を貸そう」という、“あの人”になることが大切なのではないかと思うようになりました。
――「知ること」というのは「忘れない」ということでもあります。知り続けることの大切さをどう思いますか?
東日本大震災は、メディアにとってもシンボル的な存在になったと思います。世の中にはいろいろな災害が、人災も含めてたくさん起きていて、そういうことに接したときに、東日本大震災は1つの基準になり、今被害にあった人たちはどんな思いをしているのかと想像ができるようになるのかなと。
世界のあらゆる災害を「情報コンテンツ」として「消費」するのではなくて、震災を通して考えることで、地球に住んでいる1人として「我が事」と扱えられることが大事なのではないでしょうか。今はSNSでいろいろな情報が入ってきますが、震災を知り続けることはそのきっかけとなると思います。
――この12年間で実際に伝える現場で変えたこと、変わったことがあったら教えてください。
まだ通信環境が生きている前提のシミュレーションですと、災害が発生したときにはTeamsを使用してまずは全アナウンサーに情報共有がなされるようにしています。そして社内にいるアナウンサーは全員、少なくとも5人ほど報道センターに行く。なぜ5人かというと、しゃべり手が1人、デスクが1人、しゃべり手のカバーをする人が1人、後の人は交代要員です。
12年前はニュース担当アナが真っ先に飛んでいって対応する仕組みでしたが、これはもう現実的ではないと思っています。2021年7月に起こった熱海市伊豆山土石流災害のころからは、だいぶこのシステムが機能し、アナウンス室全体で有事に対応できるようになってきています。
アナウンサーの横のつながりも大事なことです。局の垣根を超えて防災に関しても情報を共有し始めています。各省庁とも協力して勉強会も開催しています。もともと豪雨災害の多いは九州のほうが先に進めていたんですが、いよいよ東京でも在京6局のアナウンサーや報道・情報担当者が普段から情報交換する懇談会が2年前に発足しました。
また、NHKと民放6局のアナウンサーが集まって震災をテーマにした「#いのちともに守る」というプロジェクトもあります。今年は、関東大震災から100年という節目でもあるので、9月にはそれに関連した活動も準備中です。
防災に関しては各局全部で情報も素材も分かち合って、東日本大震災を教訓に、とにかく命を守ることを最優先するという傾向にあります。それがこの12年間で変わってきたことでもあると実感しています。
奥寺健
編成制作局アナウンス室 報道担当
兼CSR・SDGs推進室CSR推進部

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