山崎裕太さんが伝説の番組を振り返りました。

明石家さんまさんが先生となり、生徒役の子どもたちとユニークなトークやゲームを繰り広げた番組『あっぱれさんま大先生』(第1期=1988年~1996年、第2期=2000年~2003年/フジテレビ)が、さんまさん68歳の誕生日に『あっぱれさんま大先生2023 同窓会スペシャル』(関東ローカル)として帰ってきます。

フジテレビュー!!では、子どもたちのリーダー的存在で、今回の『同窓会スペシャル』制作のきっかけを作った山崎裕太さんにインタビュー。出演していた当時の思い出や、恩師・さんまさんへの思いなどを聞きました。

<山崎裕太 インタビュー>

――先ほど収録を終えたばかりですが、今の心境は?

疲れました!今回の『同窓会』を実現させるため、僕のYouTubeチャンネル(「山崎裕太のあれこれ言うた!!」)に相当な労力を注いだので、感極まるかと思いきや…いざ本番が始まったら「仕事(番組の進行など)をしなきゃいけない」という感覚が先に立ってしまって。

番組を卒業して27年が経ち、タレントとしての知識や経験も身についた中、何か変わるものがあるのかもと思っていたのですが、教室のあのセットに座った瞬間、当時の感覚がよみがえってきましたね。

すべてはさんまさんのおかげなんですけど、これといって気負うことなく、いつも通りの心持ちでその場にいることができました。

――さんまさんを前に、コーナーを仕切る姿がとても頼もしかったです。

いやいや、そんなことないです(笑)。芸人の皆さんからすると、さんまさんは緊張感をもって接する存在だと思うのですが、僕からすると原点といいますか、最も安心してかけ合いができる方。別の番組でもご一緒していますし、プライベートでもあんな感じなので、フラットな状態でした。

――番組がスタートしたころのさんまさんは33歳で、現在の山崎さん(42歳)や内山信二さん(41歳)よりも年下だったんですよね。

そうなんですよ!だから、やっぱり(さんまさんは)スゴいなぁと思いましたね。現在の僕らよりも下で、ほぼ素人の子どもたちをゼロから教育し、笑いがわかるタレントに仕上げるのはとんでもないこと。改めて、レジェンドだなと感心しました。

YouTubeを使って、当時の仲間を一人ずつ捜索

――今回の番組は山崎さんの熱意によって放送にこぎつけたと聞いていますが、経緯を聞かせてください。

SNSで何かつぶやくたびに「『あっぱれ』の同窓会やらないんですか?」みたいなコメントがものすごい数、届くんです。年間でいうと何千通っていうぐらい、届いているんじゃないかな。

それだけの数の人が希望しているんだったら、「俺に言わずにフジテレビに言ってくれ」って感じなんですけど(笑)、タレント活動をしている僕に言ったほうが早いと思うのか、みんな僕に言ってくるんです。

そんなときにマネージャーから「これをYouTubeの企画にしてみたらどうか?」と提案されて。当然、僕は乗り気じゃなかったですよ。だって、面倒くさいですもん(苦笑)。誰の連絡先も、内山信二の連絡先すら知りませんでしたから。

でも、内山信二とはSNSではつながっていたので、まずコンタクトをとって、その次は、うちの親と親同士がつながっていたので福長康一くん。そこからいろんな人たちへ派生していきました。

動き始めたのが昨年の5月で、YouTube動画として最初に世に出したのが7月。そのことを当時の『あっぱれ』のディレクターだったフジテレビの三宅恵介さんにお伝えしたら、「面白い!(番組として)絶対にやろう」と言ってくださった。

それまでは「できたらいいな」ぐらいの気持ちだったんですけど、三宅さんの言葉を聞いて、「これは山崎裕太という人間を世に出してくれた『あっぱれ』への恩返しだ」と、火が点いたんです。すぐにさんまさんの耳にも入って、さんまさんからも「感謝している」とおっしゃっていただきました。

関東ローカルでの放送ですが、TVerでの2週間見逃し配信も決定したので、全国の方に見ていただける大同窓会になりました。きっかけは僕だったかもしれないけれど、今回出演してくれた仲間たちをはじめ、さんまさん、三宅さんには感謝しかありません。

――番組復活を聞いて、当時の一視聴者として歓喜しました。

そういうふうに言ってくださる方が本当に多くて、改めてやってよかったと実感しています。作るにあたって、温度差が大事なのかなと思ったんです。僕が「絶対に実現させる」と気張ってやっていたら、こういう形にはなっていなかったのかも。

どちらかといったらプロデューサー目線といいますか、「じゃあ、どうしたら、より面白くなるのか」と冷静な判断ができたから実現したのかなって。

反抗期を迎えるも「さんまさんが『お前ならできる』って」

――ここまで来るのに苦労も多かったと思います。

まず、定期的にYouTubeを更新しなければいけないのが大変でした。週1で配信していたんですけど、編集も僕がやっていたんです。見てくださる方の中には『あっぱれ』をご存じない方もいるので、(そこを補足するためにも)人には編集を任せられないなって。

ドラマの合間に編集をしていたので、『あっぱれ』企画が始まってからの1年間は休みがまったくなく、ずーっと編集しかしてなかったです。ドラマの収録が息抜きになった、といっても過言ではないぐらいの大変さ。

17回にわたったYouTubeでの発信が終わったときは、減量中のボクサーが、減量明けの最初に食べたおにぎりの一口目がうまくてしょうがない、っていうような気持ちでした(笑)。

――『あっぱれ』に出演していた当時の思い出を聞かせてください。

7歳で始まって思春期を迎えるまで7年4ヵ月もやっていた番組なので、その年によって思い出が違うんです。子どものころは何も考えず自由にやっているだけでさんまさんが笑ってくれたし、世間の人も認めてくれていたのが、10代半ばになると、いわゆるお笑いのルールみたいなものにのっかっていかなければいけなくて、いつも頭はフル回転でした。

ただ、僕は芸人を目指していたわけではありませんし、反抗期のような時期も実はあったんです。でも、そんな僕をさんまさんが見捨てず、「お前はできる」と根気強く接してくださったのは、本当にありがたいことでした。

――今日の収録でさんまさんは、山崎さんと(住吉)ちほちゃんにだけ厳しかったと振り返っていましたね。

ちほちゃんは「こうしてほしい」と言われると、すぐに対応できるタイプだったんですけど、僕の場合は「お前が(場を)回さなきゃあかんねんから」というダメ出しがほとんどでしたね。

困ったときは、ちほちゃんに助けを求めていたんですけど、ちほちゃんからすると、頼られるのは大変だったと思います。今回、ちほちゃんが出演できなかったのは残念でしたし、視聴者の皆さんも「あの子が見たかった」という希望があったと思いますが、芸能界から離れて暮らしている子もいますので、そこは理解していただきたいです。

まわりの熱狂ぶりについていけず、明石家さんまを恨んだ過去も

――今だから話せる秘話はありますか?

僕も内山信二も番組のおかげで人気者にしていただきましたし、初めて主演したドラマがフジテレビというのも、『あっぱれ』がなければ、そうはなっていなかったと思います。

小学生のころ、内山信二とハワイへ向かう飛行機のビジネスクラスで、シャンパングラスにリンゴジュースを入れて「今年もお疲れ!」と乾杯したのは一生忘れられない思い出(笑)。

夏休みになると僕はドラマ、内山信二は営業など、しこたま仕事を入れられるんですよ。小6のころにいたっては、ほとんど学校に行けなかった。

中学生になると、まわりから「ワーキャー」言われ始めて、アイドル雑誌にもレギュラーページをもたせていただくなどの熱狂ぶりで、街を歩けないほど。仕事を辞めたいという思いが強くて、さんまさんを恨んだことすらありましたね。

その時期を超えたおかげで、今はどんな過酷な仕事がきても、穏やかな精神状態で受け止めることができている。『あっぱれ』のおかげなんだと思います。

内山信二(左)と山崎裕太(右)

――辞めずに踏みとどまった理由は何ですか?

同級生たちと比べて、一番足が速いわけでもないし、一番ケンカが強いやつにもかなわない。当時はサッカーをやっていたんですけど、一番上手いやつより下手だし、勉強もできなくて、何をやっても勝てなかった。そんな自分がどうしても許せず、ここで仕事を辞めたらもっとダメになってしまう姿が見えたので、辞められませんでした。

用意された状況で働くことが、しんどかったというのはあっても、心のどこかで「僕はこれをやらなきゃいけないんだ」という責任を感じていました。そこをさんまさんや三宅さんが、いち早く見抜いたんじゃないかな。

番組の後半になってくると、「お前が回せ」と指示して、余計に責任を与えるという。それで伸びた部分もあるでしょうし、この年齢になるとすべてにおいて感謝しかないですね。

“あっぱれイズム”は継承していかなければいけないもの

――山崎さんにとって内山信二さんはどういう存在ですか?

彼は僕のことを「親友や家族でもない、戦友だ」と言っているんですけど、めちゃめちゃカッコつけてるなって(笑)。僕はそんなふうには思っていませんが、気楽に接することのできる相手ですよね。『あっぱれ』が終了した後も、僕が出演するバラエティに彼が出ることもありましたし(笑)、“ニコイチ”なんだろうなって。

彼がレギュラーでやっている番組にこの間、呼んでもらったんですけど、安心感がありましたし、きっとコンビを組んでいたらこんな感じだったんだろうなと思います。僕に相方はいませんけど、もし、相方にするんだったら彼なんでしょうね。相方というと、またカッコよく聞こえちゃいますけど(笑)。

――再び同窓会があるとしたら、次はいつごろだと思いますか?

次回はフジテレビに率先してやっていただいて、僕は呼ばれるだけのほうがいいです(笑)。例えば、さんまさんが喜寿(77歳)を迎えたころとか?さんまさん、(仕事を)やってるかな。

『あっぱれ』をやるのは、なんとなく今回がラストチャンスのような気がしていたんですよ。だから、新たにやるとしたら、今回来られなかった子を3人ぐらいずつ呼んで、30分ぐらいの枠でやるのならありかなって思います。

『あっぱれさんま大先生2023 同窓会スペシャル』より

――番組からはどんなことを学びましたか?

恐れずに発言することの大事さでしょうか。さんまさんと絡んだおかげで、バラエティで恐れを感じたことは一度もないので、これは『あっぱれ』の効果だと思います。

実は以前、司会の方とうまくかみ合わず、ばっさりカットされたこともありましたが、反省はしても後悔はなかった。そんなふうに前向きな気持ちでやれたのは、“あっぱれイズム”なんだと思います。

来年、デビュー40周年を迎えるんですけど、僕はこれまで諦めたことがないんですよ。「最近、山崎裕太出てないな」と思う方もいるだろうけど、仕事を切らしたことはありませんし、何事もやり続けることが、俳優の仕事がなくならない秘訣につながっているのかなと。これも“あっぱれイズム”ですね。

――大きな目標を達成した今、これからのビジョンを聞かせてください。

デビュー35周年の年に一人芝居をやって、アフタートークには内山信二やIMALUを迎える予定だったんです。でも、コロナで中止になってしまったので、来年はそのリベンジをしたいと考えています。

皆さんの心に刺さるようなものを作る自信があるので、役者としての姿をきちんとお見せして、バラエティのときは“あっぱれイズム”をしっかり発揮したい。

このイズムって歌舞伎などの伝統芸能に近いといいますか、継承していかないといけないと思っているんです。いつかは僕らが子どもたちと絡めるような番組が、フジテレビでできるといいですね。

――『あっぱれ裕太大先生』とか?

それはさすがにスネをかじりすぎです(笑)。さんまさんが校長先生で、僕と内山信二が仕切ってというものなら、楽しくできそうです。

――改めて、山崎さんにとってさんまさんはどんな存在ですか?

これがまた複雑で、師匠でもないし、父親みたいな存在でも、お兄ちゃんみたいな存在でもない。例えば、事務所の先輩には和田アキ子さんがいて、アッコさんは芸能界の大先輩と言えるけれど、さんまさんはそういう感じじゃない。さんまさんは、さんまさんでしかない。特別な存在です。

『あっぱれさんま大先生2023 同窓会スペシャル』

7月1日(土)15時30分~17時(関東ローカル)

TVerで2週間限定見逃し配信あり)