加藤雅也「幸せは日常にあるもの」娘、妻と過ごす穏やかで何気ない時間
ドラマや映画、舞台など、エンターテインメントにおいて圧倒的な存在感を放ってきたスターたち――そんなレジェンドが半生を振り返る「レジェンドメッセージ」がスタート。
その初回には、加藤雅也さんが登場。モデルとして活動を始め、俳優転身後はハリウッド映画にも出演するなど、国内外で活躍。
近年はアウトローからイケオジ、チャーミングなおじさんなど幅広い役柄を演じ、新たな魅力を見せています。
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そんな加藤さんが出演する映画「1秒先の彼」がまもなく公開に。岡田将生さん扮する「1秒早いハジメ」と、清原果耶さん扮する「1秒遅いレイカ」の“消えた1日”をそれぞれの視点で描いたラブストーリーで、加藤さんは、ハジメの父・皇平兵衛(すめらぎ・へいべえ)役。
撮影の思い出、映画にちなんで、時間にまつわるエピソードをインタビュー。
また、モデル時代の思い出や俳優としてターニングポイントとなった出来事、そして、今年、還暦を迎え、円熟味の増した俳優業や未来への思いを聞きました。
<加藤雅也 インタビュー>
――完成した作品を観た感想を聞かせてください。
物語の終わり方がすごくよかったなと思いました。最近は、登場人物がその後どうなったかしっかり描く作品も多いけれど、結末は観客に委ねるという作り方が実に映画的で、久しぶりに映画らしい映画を観たなと感じました。
――撮影で印象に残っていることは?
平兵衛がバスに乗っているシーンがあるんですが、朝の4時ぐらいまで撮っていて、スタンバイ中に寝落ちしちゃったんです。「年とったなぁって」ショックを受けましたね。自分の楽屋で寝るならわかるけど、まさかセットの中で寝るなんてね(笑)。
――平兵衛を演じた感想を聞かせてください。
こういう見た目が面白いお父さんの役をもっとやりたいと思いました。「ちょっと無理しているように見えるかな?」と思いながらも、これぐらいなら許される範囲内かなって。どう思いましたか?
――とてもチャーミングで、加藤さんにピッタリだと思いました。
「ピッタリ」というのはうれしい感想ですね。「加藤さんならこうでしょ」という役柄はできるわけだから、いかにイメージと違うことにチャレンジするかというテーマがここ数年の自分の中にあって。役者としてああいう役にどんどん挑んでいきたいという思いがあるんですよ。
映画「銃2020」(2020年)で演じた変態ストーカーは自分の中で「いけたな」と感じたけれど、今回の平兵衛がどう受け取られるのか楽しみですね。僕だと気づかれないぐらいだったら面白いな。
皇平兵衛は、世の中の時間の流れに適合しなかっただけ
――テンポが一つのテーマになっている作品ですが、加藤さんは人よりも「早い」「遅い」と意識したことはありますか?
自分が遅いとか早いと考えたことはないけれど、時間には遅れないようにするべきなので、待ち合わせや仕事の入りなどは、順調にいけばちょっと早いぐらい、何かハプニングが起きても、ギリギリで到着するような時間設定を普段から心がけています。
せっかちなようにも見えるかもしれませんが、時にはダラーッとしていることもあるので、そこで自分を調整しているのかもしれません。ゆったりする時間もなく、ワーッとばかりなっていたら、息がつまってしまいますから。人によって時間の使い方って違うものじゃないですか。朝起きてから家を出るまでサッと出られる人がいれば、そうじゃない人もいる。
それは怠けているというわけではなく、単に物事が始まるまでウォーミングアップなしに動ける人と動けない人がいるだけの話。年齢を重ねるごとに、脳で考えるよりも体の動きが遅くなるので、行動一つにかける時間も自然とゆっくりになっていくんでしょうね。
――平兵衛はミョウガと息子に頼まれたアイスを買いに出たまま蒸発してしまいますが、独特のテンポと空気をもった人物ですね。
平兵衛は、自分の時間の流れを、世の中の時間の流れにアジャストできなかった人だと思うんですよ。例えば、国によって時間の流れって違うものですよね。1日=24時間はどこでも一緒なのに、日本にいるとゆっくりできないからと海外へ行く人もいる。
平兵衛も他の国なら適合したのかもしれないけれど、日本のスピードには適合しなかったというだけ。子どものころは1日がすごく長くて、大人になるほど時間の経過が早く感じてしまう。何が変わったのかはわからないけれど、平兵衛は子どものままでいたいというか、まわりの時に流れに対して「なんか早いよなぁ」ともどかしさを感じていた。
日本は「空気を読む」とか、みんなに合わせなきゃいけないような風潮がまだ残っている部分もあって、一人だけ違う動きをすると、なんとなく異質な目で見られてしまうことがある。平兵衛と似た思いを抱えた人もきっといると思います。
――時間の使い方は、本当に人それぞれですよね。
ダラーッとすることが趣味という人もいるし、価値観は人それぞれで、好きなように生きることが許される世の中であっていいと、僕は思うんですよ。ただ、仕事という一つのルールをもった状態に入ったときにはダメ、プライベートでは許されるという条件がつきますけどね。
今年のテーマは「笑う門には福来る」
――加藤さんが今、もっとも大切にしているのはどんな時間ですか?
そのときにやりたいことや、一つのことに没頭しているときが、僕にとって大事な時間になっています。もともと写真を撮るのが好きでInstagramにアップしているのですが、写真を撮っている間は何も考えていません。
そして、コロナを機に始めた料理をしながら誰かのラジオを聞いている時間。朝、娘のために弁当を作る妻を手伝っている時間、そして、家族で食事をしながらの何気ない会話をしているとき。今はこれらが大切な時間ですね。
よく外国人が夫婦の時間を作るために子どもをどこかに預けて、自分たちを見つめ直すみたいなことを聞くけれども、「一緒に住んでいたら夫婦の時間なんてどこかでとれるでしょ」って。
「幸せって探すものじゃなくて、気づくものだよ」って、(小山)薫堂さんの言葉にもありました。わざわざ旅行に行って何かをするとかじゃなくて、日常の中にあるものだと僕は思うんです。
結局は自分の心の持ちようですよね。そうでもしなきゃ、今の世の中、大変ですから。物価は上がるし、電気代も上がるし…。文句じゃなくてそれを笑い飛ばせたらラクだけど、できないから、ついつい文句を言ってしまう。
だけど、「笑う門には福来る」ってよく言ったもので、文句ばっかり言っていると人は寄ってこない。テレビで高田純次さんの『じゅん散歩』(テレビ朝日)などを見ていると、こういうゆるさ、いい意味でのいい加減さを皆求めているんだろうなって思います。
今年は「笑う門には福来る」ということを僕の中で一つのテーマにしているんです。このテーマを大切に今後の俳優人生を楽しみたいと思います。
オーディションを受けるたびに玉砕!現実を知って転身を決意
――ここからはキャリアについて教えてください。「MEN’S NON-NO」創刊号でモデルを務め、その後、パリコレなどにも参加していますが、活動を始めたきっかけを聞かせてください。
スカウトです。知り合いがモデルクラブのマネージャーに就任して、「誰かをスカウトしなければいけない」というノルマを課されたところ、「そういえば加藤がいたな」と思い出し、声をかけてくれたことがきっかけでした。
――1988年に映画「マリリンに逢いたい」やドラマ『ジュニア・愛の関係』(1992年・フジテレビ)に出演し、俳優活動を開始しました。転身の理由は何だったんですか?
パリコレに参加して、モデルとしての限界を感じたんです。当時のモデルはみんな背が高くて、(189cmの)阿部寛くんみたいな体が標準。僕(183㎝)なんて小さいほうだったんですよ。物理的にダメとか、努力しても仕方がないと気づいたところで、だったら、表現方法を変えたほうがいいと。
俳優は、芝居が評価されるわけだから、背が高かろうが低かろうが、太っていようが筋肉質であろうが関係ない。だけど、モデルの場合はどんなに頑張ったところで、背が低いっていうだけでアウト。クリスチャン・ディオールのオーディションに行くと、入り口に186㎝の男性が立っていて「はい、君アウト。メルシー」って帰されるんですよ。
デザイナーに会いさえすれば、気に入ってもらえることだってあるかもしれないのに、その段階にすらも行けない。事実、イッセイミヤケのショーでは、モデルとしては小さかったけれど、デザイナーが「いい」と言ってくれたことでショーに出ることができましたから。
写真を見て「いいね、来て」と言われて、メゾンへ行ってみたら「メルシー」と言われ、帰されるということを繰り返すと、「この先はない」と思い知らされるんですよ。それで、俳優の道を選択しました。
45歳、初のワークショップで見栄やプライドが削ぎ落とされた
――デビューから35年、転機もあったのではないですか?
まず一つ目は、「クライング・フリーマン」(1996年)というクリストフ・ガンズ監督の作品に出演したこと。そこからアメリカのエージェントから声がかかって、渡米することになり、数本のハリウッド映画に出演しました。
もう一つ、北野武監督の「BROTHER」(2000年)に出演したとき、ある方から「日本でこんなにいい役をいただけるのに、何でオーディションを受けてまでアメリカで活動しているのか。もっと日本でやるべきだ」とアドバイスを受けて、日本へ戻ったこともターニングポイントですね。
その後に「SAMURAI 7」(2008年、2010年、2012年)で初めて舞台に立ったんだけど、もう一度ちゃんと演技を見直したいと思って、45歳を前にして初めてワークショップに参加したんですよ。そこで見栄やプライド、羞恥心みたいなものがどんどん削ぎ落とされて、自信がもてるようになりました。
テレビや映画というのは言わば(瞬発力勝負の)短距離走のようなもの。一方、舞台は一度走り出したら止まらない、いわゆるマラソンみたいなもの。長距離を1回走ったことで「走れるよね」という自信がつき、そこから短距離走が怖くなくなりました。
そこから出演作はどんどん増えていくんだけど、いまいち掴めない、このモヤモヤした思いは何なんだろう、と考えていたときに、アイダ・パナハンデというイラン出身の監督と「二階堂家物語」という映画をやったときに、具体的な言葉ではないのですが、毎日のように彼女とディスカッションをしている中で『セリフを言わずに自分の言葉で喋るにはどうすればいいのだろう』という疑問を解消する糸口が見つかった気がします。
連続テレビ小説『まんぷく』(2018年/NHK)で演じた喫茶店のマスターあたりからは、自分の中で何かがハジけたような気がして、コメディをもっとやりたいと思うようになりました。
――今年4月に還暦を迎えましたが、未来へどのような思いがありますか?
坂本龍一さんが今年の3月に71歳で亡くなられましたが、9年ほど前にガンを公表された。そして、ショーケンさん(萩原健一さん)は2011年から闘病し、亡くなられたのが2019年、68歳のとき。皆さん、僕ぐらいの年齢から闘病されているんですよね。
「人生100年時代」と言うけれど、いつ、病に襲われるかわからないから、できることはどんどんやって、覚悟すべきときがきたら、そうするしかないと思うんです。コロナ以降、何が起きるかわからない世の中になりましたが、起こったときに「あれをやっておけばよかった」じゃなく、今から起こったときのことを考えて動くしかない。
50歳から「新しい自分を積み上げていきたい」と思い、行動しているので、60代もその延長で新しいことに挑戦して、そのときがきたらできるだけまわりに迷惑をかけない状態で終えたいですね。
緒形拳さんがドラマ『風のガーデン』(2008年/フジテレビ)を撮り終えて、共演の中井貴一さんに「また!」と言って別れ、それが最期になってしまった。カッコいいなと思いましたね。家族にも誰にも迷惑をかけず、カッコいい引き際を迎えたいです。
撮影:河井彩美
ヘアメイク:最知明日香
<加藤雅也 思い出のサングラス>
手前のものは、映画「マリリンに逢いたい」(1988年)で兄弟役を演じた三浦友和さんが劇中でかけていたものです。すべての撮影が終わったときに「あげるよ」と言って、プレゼントしてくださいました。
中央は、初めての海外作品「クライムブローカー/仮面の誘惑」(1993年)で、主演のジャクリーン・ビセットが劇中でかけていたものです。これも、撮影が終わったあとにいただいたのですが使うことができず、大事に保管してあります。
一番奥は、「愛人/ラマン」(1992年)などに出演していた香港のレオン・カーフェイと「恋戦。OKINAWA Rendez-vous」(2000年)で共演したときに、僕の持っていた物とサングラスを交換したものです。
「1秒先の彼」
7月7日(金)全国ロードショー
監督:山下敦弘 脚本:宮藤官九郎
出演:岡田将生、清原果耶、荒川良々、加藤雅也、羽野晶紀ほか
https://bitters.co.jp/ichi-kare/
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