毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集い、多彩な話題や事象を取り上げていくフジテレビのトーク番組『ボクらの時代』。
3月7日(日)の放送は、ミュージカル「ウェイトレス」で共演する高畑充希、宮野真守、宮澤エマが登場する。
舞台の稽古で「いっぱいいっぱい」の日々
3人はまもなく上演を開始する舞台のために、稽古に励む日々を送っている。
高畑:今は、稽古が(夜の)7時、8時に終わるじゃない。どうしてるの、みんな。
宮澤:疲れきってさ、でも「飲まなきゃやってられない」と思って飲んで。いい感じに気持ちよく眠くなって。「はぁ、復習しなきゃ…」って(寝てしまう)。
宮野:わかる、わかる(笑)。
高畑:稽古がいっぱいいっぱいで、人間として停止している感じ。
宮野:人間として停止!?
宮澤:やめてー(笑)。
「(稽古に)エネルギーが持っていかれて、ご飯とか、娯楽に意識がいかない」と話す高畑は、自宅に“ある物”がないと明かして宮澤と宮野を驚かせる。
17歳で夢が叶い「燃え尽き症候群」に
14歳でオーディションに合格し初舞台を踏んだ高畑は、15歳で「ピーターパン」の主演を務めることになり、単身で上京した。
宮澤:もともと、舞台をやりたい気持ちって?
高畑:「奇跡の人」っていう舞台の、ヘレン・ケラー(役)がやりたくて。ミュージカルも好きで、この世界に飛び込んで。でも、17歳のときに、そのヘレンケラーをやれてしまって。もう、燃え尽き症候群。
宮澤:あははは。
高畑:もうやりたいこと、私にない。
宮野:やりたいこと叶っちゃってるんだね。すごいよね。
高畑:そこから若干さまよい、でも舞台は好きだからコンスタントにやっているうちに、21歳のときに…。
高畑は、映像作品への出演が増えたきっかけや、そのことが「良かった」と思える理由について語っていく。
一方、父親がニューヨーク出身という宮澤は、(ニューヨーク在住の)祖母を訪ねて行くと「ご褒美みたいな感じでブロードウェイでミュージカルを見せてくれた」と、子どものころの原体験を語り、「楽しむもの」と思っていたミュージカルに出演するようになったきっかけを明かす。
「子役としては賞味期限が迫っていた」18歳のときのオーディション
一方、宮野は7歳で児童劇団に入った。
宮野:親が兄貴を(劇団に)入れて。そこについて行って「兄貴と一緒がいい」と言っただけ。だから、芸能界に入るという感じではなかったんだよね。
宮澤:いつ「自分はこの世界でやっていきたいな」と思ったの?
宮野:仕事…してなかったんだけど、子役時代はそんなに。あんまり需要がなくて(笑)。
宮澤:そんなこと言わないで(笑)。
宮野:高校生ぐらいになっていくと、だんだん危機感が出てきて。
宮澤:うん。将来のこと考えるもんね。
宮野:俺もちゃんと勉強しなくちゃいけないなと思って…。
「子役としては賞味期限が迫っていた」という18歳のときにオーディションを受け、合格したことから声優のキャリアがスタートし飛躍のきっかけをつかんだと、宮野は振り返る。
そこから「オーディションは好きか?」、「自分の声は好きか」などの話題も展開していく。
何でもできる姉に「私の方が絶対に上手い」と思ったこと
また、3人は子ども時代の話でも盛り上がる。
高畑:お2人は、どんな子どもでしたか?
宮澤:私は、5歳上の姉がいて。姉がすごい「ザ・優等生」で。もう、成績もいつもオールAみたいな。「ザ・長女」っていうタイプだったから、まぁ、だいたいそういう姉とか上の人がいると、下の子ってそうじゃない方向に行くしかなくて(笑)。
宮野:(苦笑)。
宮澤は、すべてにおいて「ほぼほぼ敵わなかった」姉に対して、なぜか「私の方が絶対に上手い」と思っていたことが「歌やお芝居」だったと明かす。
さらに、「子どものころから変わらない。目立ちたがり」という宮野、「とにかくよくいなくなる子どもだった」という高畑の幼少期が語られ、どのエピソードでも3人は笑顔。
また、舞台だけでなく俳優、声優、タレントとさまざまなフィールドで活躍する3人ならではの悩みや苦労話なども飛び出す。