石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず「話をしてみたい」ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

日々の喧騒を離れ、焚き火を見ながらゆったりと過ごす「スロートーク」の中で、ゲストの素顔や本音が垣間見られるトークバラエティだ。

「トーク番組でマスクをして話すってすごい時代になりましたね」と石橋

4月14日(火)の放送は、ゲストにタリーズコーヒージャパンの創業者で、元参議院議員の実業家・松田公太が登場。無名の銀行員だった松田がタリーズコーヒージャパンを立ち上げたきっかけや、その原動力、政治への挑戦と挫折、今後の展望などを石橋と焚き火の前で語った。

来日していた社長にアポなし直談判

5歳から高校卒業までのほとんどを海外で過ごしていた松田。帰国し大学卒業後、大手銀行に就職したが、1995年に友人の結婚式に出席するためアメリカに行った際に、タリーズを始めとした数ヵ所で“スペシャルティコーヒー”と出合ったという。

松田は1968年生まれの51歳

「こんなにおいしいコーヒーは日本にない」と感銘を受けた松田は、学生の頃からの「日本と海外の文化の懸け橋になりたい」という思いを実行すべく、タリーズコーヒーにアプローチを続け、たまたま来日していた社長にアポなし直談判をして日本での経営権を獲得した。27~28歳のころだった。

7000万円の借金をして1号店を銀座に作り、2号店を出すまでの2年間は店舗に寝袋を持ち込んで寝泊まりする生活を送り、2店舗目、3店舗目を出したころから利益が出るようになったという。

その3店舗目は、席のないテイクアウトのみの店を企業のロビーに出店し、それがヒット。テイクアウトのコーヒーを自分のデスクで飲みながら仕事をするというオフィスでのスタイルが定着した。

こうして「新しいアイデアを出して日本になかった店舗を作り出す、それが認められていくのがうれしかった」と松田は語った。

騙される方が馬鹿…「ここにいたら自分もおかしくなる」

知られざる政界の話に石橋も驚く

石橋:今まで生きてきて一番つらかった時期はいつですか?

松田:政治家でいいますと、いろんな人に連続して裏切られたことですね。

石橋:(笑)。1回くらい当選した若造には厳しいところなんですか?

松田:会派を作るために、ほかの政党と一緒に取り決めをして。みんな口頭でやるんですけど、口頭は信用できないので全部契約書にしたんです。印鑑押して「よしこれでやりましょう」と。そういったものが、2週間後に目の前で破られるんです。

石橋:なんで破っちゃうの?

松田:「自分たちの得にならないことはやめよう」と。あ然とするじゃないですか?

石橋:うん。

松田:「本気ですか?民間の世界だったら訴えられますよ」と言ったけど「政界だから関係ないよそんなの」と言うわけですね。ショックを受けて議員会館をとぼとぼ歩いていたら、いろんな議員が私のところによってきて「松田さん、聞いたよ。やられたね。でもね、一つだけ言ってあげる。この世界はね、だまされる方がバカだから。だました方が正解だよ」って言うんです。

石橋:そんな世界なんですか?

松田:私はそれを聞いて、ここにいたら自分もおかしくなると思ったんです。世間で言う「永田町の常識が世間の非常識、世間の常識が永田町の非常識」をまさに体感したんです。

「だいたい、なぜ国会議員をやろうとしたの?」「何を言われて心動かされたのか?」と石橋が突っ込むと「最初はまったく心が動かなかった」「政治には興味がなかった」と明かす松田だが…。

松田:当時の日本の経済は、結構ボロボロだったんですね。一経営者なりに、こうするべきだろうという政策的なものを持っていた。そういったところにうまく照準を合わせられまして、その気になって、政治のことはわからないけれど、もしかしたら風穴を開けることができるかもしれないと出馬を決めたんです。6年やって任期満了ということで政界から引退させていただいたんですね。

石橋:何期も務めて、大臣になって(政界を)変えてやろうとは思わなかったの?

松田:(議員に当選した)当時は、民主党政権だったんです。民主党の経済政策は良くないと思っていた。かといって自民党に戻したいとも思わなかった。政策ごとに、この政策は民主党とやりたい、この政策は自民党と、政策の是々非々で語れる政党をやっていきたいと思った。

「みんなの党」という政党だったんですけど、議員が増えて再選のことを気にしたり、民主党とくっつこう、自民党とくっつこうとか、そういう話ばっかりになっちゃって。「我々は自民でも民主でもない、ど真ん中の政党を作るんだ、政策だけの政党を作るんだって言ったじゃないか」と言っても、結局皆さんどうやって政治家を続けるかということばかり考えるようになってしまって、やっぱり自分にこの世界は難しいなと思ったんです。

松田が国会議員になって初めて出した法案は、議員の給料を2~3割カットしようというものだったが「全く相手にされなかった」という。

新型コロナウイルスに国民が苦しんでいる今だからそ、やれることがあるのではないかと話す松田に「もう一度チャレンジしてくださいよ」と言う石橋だったが、「民間の世界から、ちょっとでも日本が元気になるようなことにチャレンジしていきたい」と、政界に戻る様子はうかがえない。

石橋「 今こそリーダーが必要な時 」

そんな中「ビジネスとしては今が一番大変」と明かす松田。新型コロナウイルスの影響で、飲食業界はこれまで経験したことがない苦しい状況に立たされていると力説。

石橋:今こそリーダーが必要な時になりましたよね。

松田:政治でも、もうちょっとリーダーシップが必要だと見ていて思います。こういう国難の時にどうやって動くかで、会社もそうなんです実は。こういう厳しいときにどんなリーダーシップを発揮できるかで、その社長がいいのか、ダメな社長なのかというのが明確に出ると思うんです。

石橋:真のリーダーが日本にも世界にも必要だということですね。

松田:求められていると思いますよ。必要ですよね。

石橋:人生でもう一つやりたいのは何ですか?

松田:まさしく、この焚き火がそのテーマの一つでもあるんですけれども、「バイオエネルギー」って言うんですね。私は国会でも「バイオエネルギー」をもっともっと増やすべきと訴えてきたんです。原発は目標を作って徐々に減らして、その代わりに自然エネルギーを増やそうよ、と。やっぱりまったく話になりませんでしたけど。

なので民間に戻って、バイオエネルギーを使って熱を供給したりとか、そういうビジネスを立ち上げています。正直、立ち上げて4年目で赤字が続いていて難しいんですけど、例えば黒字化できて、できることを証明できれば、それもまた国民の皆さんに「やりましょうよ」ってことが言えるかな。

次々と新しいチャレンジをすることで、日本を変えていこうとする松田に、石橋は「いいですね、常に向かっていくものがきっちり明確で」と締めくくった。