1月30日(日)の『ボクらの時代』は、元フジテレビアナウンサーの山村美智、河野景子、近藤サトが登場し、「女性アナウンサー」の役割の変化や、苦労話、家族やパートナーとの関係などを率直に語り合った。
女性アナウンサーとしてフジテレビに入社して
1980年入社の山村は、5年で退社し女優に転身。88年入社の河野、91年入社の近藤とは在籍期間はかぶっていないが、2人は山村が出演していた『オレたちひょうきん族』の活躍が印象に残っているそうで、「すごく長くフジテレビにいらして、フジテレビの“顔”というイメージ」(河野)と語る。
河野:美智さんのお話を伺ってると、フジテレビもいい時代なんだけど、女性アナウンサーがいろんな仕事を幅広くやり始めることに対して、局全体、社員全体がどうすればいいかわからない時代でしたよね。
山村:それこそ、サトちゃんぐらいになってくると、もう女性のアナウンサーってある意味、いろんなものをやってもいいわけじゃない?報道をやってらしたもんね。
近藤:そうですね。私のころは、報道ニュースをレギュラーで持ちながら、ドラマも出ましたし、バラエティもやりましたよね。だから、「ニュースを読んでいるアナウンサーがドラマに出ていいのか?」ってちょっと問題になったくらい、それくらい自由な時代でした。
山村:そうよね、だんだん自由になってきた。でも、私のときも、選挙特番もやり、『ひょうきん族』もやり、ドラマもやり、歌も『夜のヒットスタジオ』に出て。ある意味、会社もものすごく、私のころは混乱していたから「とにかくなんでもやらせてみましょう」と。しかも、ノーギャラで出すことができるし、アナウンサーって。もうそれまで全然仕事がなかったのね…。
山村は、入社後1年半は仕事がなかったと振り返り「仕事がないから、やっぱりどうしてもちょっと神経質になったり、そういう時期もあったの。で、その中からああいう、フジテレビが大改革を起こして。それでバラエティやなんかをバババっとやって、『(オレたち)ひょうきん族』になったから、もう、みんなが混乱しながらやっていたっていう時期だと思う」と当時を回顧。
さらに「私よりもうちょっと前は、25歳定年制」だったと明かし、河野、近藤を驚かせた。
近藤:えー!?25?
山村:うん。だって、私が入ったとき、一番上だったのは、田丸美寿々さんが30歳くらいだったけど、すぐにお辞めになったから。なんか30歳までいられないムードはあったと思う。
近藤:河野さんのときはどうでした?30?
河野:ううん。そのときは、もう普通に…。
近藤:そうですよね。
河野:大先輩もいらしたし。ただ、なんか30歳っていうのが、辞めるか、辞めないかをちょっと考える女性としての節目…一度考えますよね。
山村:考えるし、ある意味、テレビ局ってとても最先端のところなのに、とても古いんだよね、女性に対しても。女性蔑視なところもあるし。
河野:あったから、まだね。
「新人アナウンサーは、お茶わんも洗わなきゃいけないし、お茶出しもあって」(河野)、先輩たちの好みのコーヒーなどを表にしてあったと言い「懐かしい。そうでした!」(近藤)と盛り上がった3人。
山村は、アナウンサーにスタイリストがついておらず、自分で衣装を借りに行っていたことも明かした。
7秒間のハグをしないのはもったいない
2020年12月に夫・宅間秋史さんを亡くした山村は、昨年、出会いから別れまでをつづった著書「7秒間のハグ」を発表した。
河野:この「7秒間のハグ」を言ったのが、宅間さんなんですもんね?
山村:そうね。ある日突然ね。それまでも、ウチは必ずハグをするというのは、ルーティンであったのね。
河野:いつごろからですか?
山村:結婚したときから。
河野:素敵!
山村:だから、ケンカしてるときってあるじゃない?それでも「はい、行ってらっしゃい、はいはい」みたいな感じで、一応はするっていうことを…。
近藤:(笑)。怒りながらもする?
山村:怒りながらもする。それで、病院に入院してるある日、「じゃあね」(とハグをしたら)。「あ、これから7秒しよう、7秒すると絆が深まるんだって」って。「ああ、7秒ね。はい、1、2、3…」って数えて、それを必ず毎日やるようになって。それでいろいろ調べたら、7秒ハグするとオキシトシンっていう幸せホルモンが出るんです。
それをやると、例えば夫婦だけじゃなくて、子どもでもやっぱり変わってくるんですって。だから反抗期の子どもがいても、7秒間やってあげるっていうのはすごく必要だと思うんだけど…ハグ、したことない?
近藤:あんまり…いや、もちろんしたことはありますけど。本当に(軽く)ポンポンみたいな感じですよね。7秒って結構、長いですよ。ニュースのリードくらいありますよ。
山村&河野:(笑)。
河野:確かに、ちょうどそうかもしれない、3行くらいの。
近藤:かなり長いと思います。
山村:そうそうそう。でも、今の私にとってみると、そういう人、いないじゃない。
河野:うん。
山村:(あなたたちには)いるでしょう?いるでしょう?
河野&近藤:(笑)。
山村:だから、してくれないともったいない。もったいないと思うんだ。
山村は、そう噛みしめるように語った。
「一番の応援者」「何があっても信用」…子どもたちに伝えていること
山村が、河野、近藤に子どもたちについて「何か苦労したこととか大変なこととか、ありました?」と聞くと、河野が「そりゃあ、あります!」と返答し…。
河野:私、男の子、女の子、女の子。一番上が26歳。
近藤:(驚いて)もう26ですか。
河野:26になりました。次21、19歳。それぞれ、自分たちの将来をどうするかというのを試行錯誤しながら考えているので、私はとにかく母親として「一番の応援者である」って言う。そうすると、たぶん悲しませないようにはしてくれるかなって。いいかげんなことは言わないでしょうし、相談にも乗るし。
私の親がそうだったんですね。「一番の応援者だから」って。これがすごく自分の中の励みになったので、私も自分の子どもに対してはそうしようと。これが私が心掛けてること。苦労っていったらいっぱいあります。そんなのいっぱい、いっぱい、い~っぱい。いっぱいありますよ(笑)。
山村&近藤:(笑)。
河野:でも、それでも、私は一番の応援者でいようというふうに思っています。サトちゃんのところ、お一人だからね。
近藤:そうです。一人っ子ですから、逆に苦労という苦労はあまりなくて。
山村:サトちゃん、お子さんはおいくつなんですか?
近藤:もう、高2ですね。だいぶ前に、ちょっと厳しいことを言ったんですけど。「私は親として、何があっても、どんなことがあっても、あなたを信用します」と。で、「明らかに信用できないと思われることでも、あなたを信用する」と。
だから「信用されるということは、すごく怖いことだよ」っていうふうに言いました。それは、私も同じく親に言われてきたことで「どんなことがあってもお父さんはおまえのことを信じる。怖いぞ」って言われて。だから、私も同じようなことをやっぱり息子に言いましたね。
山村:でも、これから大きくなってくると、子ども、お子さんに支えられることもあるよね。
近藤:そうですね。思わぬところで気を遣ってくれたりとか。「疲れてるんだったら、わんこのお迎えは俺が行く」とかね。
山村:ああ、男の子。
近藤:なんか、ささいなことですけど。
山村:景子ちゃん、(長男の花田)優一くんに支えられてるっていうか、優一くんとしょっちゅう会って話すって言ってたよね?
河野:そうですね。同じように歩んできているので、私の結婚生活ほぼ一緒なわけじゃないですか。だから、いろんな歴史もわかってますし、私の性格もわかっているし、本当に話し始めたら尽きないくらいずっとしゃべりますね。
山村:だから、そういう意味では貴重というか、お子さんがいるからね。
河野:そうですね。私も子どもにすごく支えられてきたなというのはあります。
山村:そうね。お子さんいたから我慢したところもあるかもしれないけど、お子さんいたから、今また新たに踏み出してるっていうのもあるかもしれないよね。
子どもがいない夫婦で仲がいいのは本物!?
また、河野は山村に「子どもがいないご夫婦で、すごく仲いい方って本物なんだなってずっと思っていた」と打ち明けた。
山村:(笑)。
河野:(近藤に)思わない?
近藤:そうですよね。「子はかすがい」。その「かすがい」がなくても、ね。
河野:仲がいいって。
近藤:確かに。ある意味、憧れますよね。
河野:憧れる。
山村:でも、子どもがいないということは、ある意味、若いときの2人のまんまきてるから。
近藤:素敵じゃないですか。
河野:素敵、素敵。
山村:ただ、今回(夫を亡くして)、やっぱり子どもがいないというのは寂しかったね。そうやっていなくなったときに、味方がいないっていうかね。でも、世の中にたった一人の方もたくさんいらっしゃるし、それこそ私と同じようにパートナーを亡くされた方は本当に多くいらっしゃるからね。その人たちが頑張ってるのに、頑張らないわけにはいかないよね。
自分に言い聞かせるように語る山村に、近藤は「そうです」と励まし、河野は「私のことと置き換えてしまったら、本当に失礼なんですけど」と前置きをして、「大変なとき」を乗り越えることについて自身の経験を語った。
河野:すごく大変なとき「へっちゃらなふり」してました。「へっちゃらなふり」をすると、周りが「あ、大丈夫なのかな」と思って、それを見て私もへっちゃらになれるというか…強くなっていく。人にそうして、人からそれが返ってきて、自分が強くなれるのかなというのは経験したので。
山村:そうね。人からもらう。
河野:またもらって。
山村:もらえるからね。そうかもしれないね。
最後に、近藤が「美智さん、これからどうされたいのかなってすごく気になります」と訊ねた。
山村:うーん、それは難しいんだね。なかなかまだ、なんていうか…。
近藤:だって、こんなにおきれいで、お元気で。
山村:いえいえ。でも確かに人って何が一番幸せかっていったら、人の笑顔を見ること、人を喜ばせることが幸せなんだよね。やっぱり、自分が何かおいしいものを食べたとか、楽しいことをしたことが幸せ感には通じないから。だから家族がいるわけよ。家族がいて、夫とか子どもとかが喜ぶ笑顔を見たいから、家族みんないるんで。
そういう人がもう私はいないとしたら、本当に誰かが喜んでもらえるようなことができればね、いいけれども。まだちょっと、まだもうちょっと考えないとね。さすがに(亡くなってから)1年ではね、なかなか難しいかもしれない。でも、ただ、そうやって元気なふりというか、そういうのはしているといつか元気になるんだろうとは思ってる。
そこで山村が、思いついたように「朗読ライブやればいいんだ、3人で」と発言。「やりましょうか」(河野)、「ぜひお願いします」(近藤)と約束をして鼎談は終了した。