上方落語を代表する落語家で、テレビやラジオで幅広く活躍した笑福亭仁鶴さんが、骨髄異形成症候群のため大阪府内の自宅で死去した。84歳だった。
特別顧問を務める吉本興業が20日(金)、明らかにした。葬儀・告別式は親族で行われた。お別れの会などは未定。
仁鶴さんは、大阪市生野区出身。1962年、6代目笑福亭松鶴に弟子入りし、翌年、3代目林家染丸師匠からの紹介で吉本興業に所属。劇場で高座に上がりながら、テレビ、ラジオ、ドラマ、映画、舞台など多彩な才能を各方面で発揮した。
深夜ラジオ番組「オーサカ・オールナイト夜明けまでご一緒に」(ラジオ大阪)、 「ABCヤングリクエスト」(朝日放送ラジオ)などでは、現代のラジオ番組の原型を作り上げ、ラジオ番組内で「どんなんかな~」「うれしかるかる」などのギャグを連発し、当時、若者から絶大な人気を博した。
1967年4月、吉本新喜劇女優で「たかこ姫」の愛称で親しまれた永隆子さんと結婚。その後も、1969年スタートの「ヤングおー!おー!」(毎日放送)では、初代司会者を務めるなど、その人気ぶりから「視聴率を5%上げる男」と評された。
同年発表した「おばちゃんのブルース」は、ラジオ番組の企画で自ら作詞を手掛け、ビル掃除で働き懸命に子どもを育てる母親にエールを送る楽曲として、多くの人に愛され、大ヒット。
1985年に始まり、「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ~」のセリフで有名な法律バラエティ番組『バラエティー生活笑百科』(NHK)では、30年以上司会を務め、長きにわたり、お茶の間に親しまれた。
70歳を超えてからも精力的に落語の独演会を開催し、晩年になんばグランド花月で披露した「不動坊」は、後輩たちが継承する上方落語の代表作といえる。