石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。
11月3日(火)の放送は、庖刃工芸士・坂下勝美(さかした・かつみ)氏が登場。自作の道具を使い、刃付けから研ぎ、柄付けまで一貫して行い、「包丁研ぎ職人」として全国の一流料理人からの絶大な信頼を得るようになった経緯、仕事の面白さ、やりがいなどを語った。
多くの人は「包丁を研ぐというよりも、ただ刃を減らしている」
これまで研いできた包丁は「22万本ぐらい」という坂下氏は、22歳から包丁を研ぎはじめた。1本を仕上げるのに「研磨だけで7時間はかかる」というが「好きだから楽しい」と笑う。
石橋:でも全国から来るんでしょ、包丁が。
坂下:そうですね。だから今、新しいものと、研ぎの修正と、400本くらいありますかね、家にたまっているのが。
石橋:料理人は、自分で包丁を研がないんですか?
坂下:研ぐのは研ぎますけど、本当の包丁の研ぎ方じゃないんですよね。
石橋:そうなんですか。みんな、知らないんですか。
坂下:知らないですね。
坂下氏曰く、多くの人たちは「研ぐということよりも、ただ刃を減らしているだけ」だという。
包丁が切るものは繊維だが、繊維には包丁を切れなくなるまで押し曲げたりする力はない。しかし、刃先からしのぎに向かう真ん中部分が抵抗となり、使ううちに繊維の中に入っていきにくくなることが、切れ味の悪さにつながっていくというのだ。
坂下の研いだ包丁は3年から5年に1度のメンテナンスでいつまでも快適
では、坂下氏の研ぎ方は何が違うのか。
坂下:(しのぎと刃先の)真ん中がへこんでるんですよ。その切れ味に、みんな魅せられて、という形です。
石橋:坂下さんに研いでもらったら、どのくらい持続するんですか?
坂下:もう、ほとんど研がなくていいです。
石橋:1回やってもらったら?
坂下:はい。
坂下氏は、包丁の動きと力のかかり方を説明し、刃先がわずかに曲がってしまうが、それは新聞紙で左右にこする程度で元の状態に戻ると解説。そして「ただし、3年から5年に1回は、切れる切れない関係なく、メンテナンスに出して」と付け足した。
「温度差によって必ず変形する」そうで、それを真っすぐに修正することを繰り返せば、何年でも快適に包丁を使えるようになるそうだ。
今の技を身に着けるまでに要した時間は50年
坂下氏は当初、刃物を研ぐ機械を売る仕事をしていたが、多くの客から「最初は良く切れるけど、すぐに切れなくなる」と意見をもらった。そこで、包丁の維持管理がどうあるべきか、観察と研究を繰り返すようになり、22歳の頃より包丁研ぎの世界に入り、今に至る。
石橋:最終的にこれだというのは、いくつで完成したんですか?
坂下:45~50歳くらいになってからですかね、少し見えてきたのは。
石橋:23年以上かかったんですか、そこにたどり着くまで。
坂下:はい。それから15年くらい前に、紹介で京都に初めて行ったんです。包丁の研ぎ方を教えたり、お互い勉強といいますかね。教えることによって自分が学ぶというような…ここ15年から20年くらいですね。で、完全に今の状態になるには、約50年ですね。
石橋:50年かかったんですか!
坂下:はい。だって教えてくれる人が誰もいないんですもん。
独学で77歳までやってきて、ここ5年ほどで、その腕が世間に知られるようになったという。
弟子を取らずに全国の料理人に直接研ぎ方を伝授
「どういう砥石を使って、どういう研ぎ方をして、どういう維持管理をするのかを教えるのが包丁屋の仕事」と考える坂下氏は、弟子を取らずに全国の料理人に研ぐ技術を直接伝授している。
時代の変化、環境の変化と共に食材や調理法が変わっていくと、切り方も変わってくる。それに合わせて研ぎ方も変えていく必要があるので、まだまだ改良を重ねていかなくてはならないそうだ。
石橋:まだ、究極の一本というものはできていないんですか?
坂下:まだですね。それこそ「形見」と言えるものはまだないですね。これ1本残したいという。
と、坂下氏は笑顔を見せた。
そんな坂下氏の好きな食べ物は、意外にも「うどん」。
石橋:うどんですか(笑)。あんまり包丁は使わない…。
坂下:使わないというか、私、包丁使えないんです。
石橋:え!?お料理されないんですか?
坂下:全然だめです。はっきり言って、漬物一本、切りきらんです。
坂下氏は「私は、食べる人」と語り、「何でも夢中になる方だから、料理の世界に入っていったら、おそらく包丁のこと忘れてしまうと思います」と自己分析。
石橋が「(収録のため)せっかく東京に来たんだから、どこか(包丁を)磨いているお店に行って、ごはん食べるんですか?」と尋ねると、「いや、行きたいけどね。時間がないからね」と、すぐに帰って包丁を研ぐという坂下氏。「しかし、それも楽しみです」と続け、最後まで職人気質だった。