アメリカの名門ハーバード大卒のパックン。
母子家庭で育ち、幼少時代は国から食料支援を受けるような貧困状態にありながら、自らの努力と周囲の助けなどによって運命を切り拓いてきた。
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そんなパックンが、日本の子どもの貧困の現状を取材しつつ、自らの生い立ちを振り返った著書『逆境力』(SB新書)を出版した。フジテレビュー!!では、1年以上にわたってパックンの取材に同行。その内容を連載でお届けする。
今回は、現役大学生の川﨑剛さんと北川羽有さんに取材。
どちらもパックンと同じ母子家庭で育ち、経済的な理由などで大学進学はあまり念頭になかったものの、キッズドアなど周囲の支援を受けて勉強を始め、晴れて大学生に。川﨑さんは東京都立大学、北川さんは日本を飛び出しチェコの大学に通っている。
周囲の助けがなければ大学に行こうと考えてもいなかったかもしれないという2人に、自らの体験と今後について話を聞いた。
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大学受験をしていなかったかも
パックン:家庭状況を教えてもらっていいですか?
川﨑剛:母子家庭で、母が女手ひとつで育ててくれました。
パックン:僕も一緒。
川﨑:優秀な方なので、それを聞いて驚きました。変に親近感を抱かせていただきました。
北川羽有:私も母子家庭で、親戚を含めて大学に行ったのは私が第一号で、大学に行かないのが当たり前だったので、家で勉強をしてなさすぎだったと思います。
パックン:勉強を始めたきっかけは何ですか?
北川:中学3年生の時に、お母さんがキッズドアの存在をどこかから見つけてきて、「明日から行きなさいね」となりました。「いいえ」とは言いづらくて。
川﨑:僕も母がキッズドアの存在を知って、最初は「ええっ」という感じだったんですけど通い始めました。中学3年の10月でした。
高校へ行っても、人様に言えないことばかりなんですが、学校ではあまり優秀ではなくて、高校時代ははめをはずしまくっていたかなと思います。反省文を4000文字書かされて、僕だけ書き直しを食らったこともあります。
パックン:反省文の書き直しってあるんですか。
川﨑:反省が伝わらなかったらしくて。高校は色んな人がいて、環境も変わって、色んな先生もいて、複雑な心境だったのかなと思います。それでも、キッズドアには通い続けました。
パックン:もしキッズドアに行っていなかったらどんな人生でしたか?
川﨑:たぶん大学受験はしていなかったんじゃないかなと思います。高校では、塾や予備校に行かない人を僕以外ほとんど知らない状態だったんですが、家庭環境から僕は行けない。
それから、学費の問題で、私立は無理。なので、国公立しか選択肢はなかったんですが、勉強しても授業料はどうなのかなとか懸念が山積みでした。
それについては奨学金や授業料免除もあって高校の時に手続きするんですけど、区役所やキッズドアに教えてもらって書き終えたという感じです。
キッズドアがなかったら、葛藤を抱えて大学受験していなかったと思います。
パックン:たぶんそういう立場の子どもって全国にたくさんいるよね。大学に行けるんだっていう気づきがあれば行ける人が。
いま調べてみたら、大学進学率は55%だそうです。都道府県別で見ると、東京が65%、一番低い沖縄が40%。大学に行くことが普通みたいな風潮があるけれど、決して普通じゃないと思いますね。
「やれること」を無意識で線引きしていた
北川:私は高校の時は漠然と日本の大学に進むと思っていたのが、いまは海外でチェコの大学に通っているので、想定外でした。
パックン:何がきっかけ?
北川:家庭環境とか金銭的な問題で、やるべきこと、やれること、これくらいならできるなという線引きをいつも無意識でしていました。
キッズドアにいる色々なボランティアは、ひとりひとりバックグラウンドも違うし、私もやろうと思えばできるのではと感じることも多くなったんです。
それで、高校一年生の時に留学に行きたいなと思って、東京都がやっている留学プログラムに応募してみたんです。金銭的援助をしてくれるもので、アメリカに一年間留学できました。
アメリカのホストファミリーが個性的な集まりで、枠にはまる必要がないんだなと身をもって思いました。日本に帰ってきて、「普通そうするよね」という以外の道を考えられるようになったのは海外進学するにあたって大きかったです。
パックン:海外進学を決めるに当たって、金銭的な問題はありませんでしたか?
北川:高いどころか、チェコの大学の学費は年間16万円なんです。
パックン:そうなんですか!日本は100万円くらいですよね。航空代をいれてもトントンですか。
北川:飛行機も時期を選べば往復で7万円しないくらいで行けるので。これはありがたかったです。
パックン:普通じゃない道が見えたのはすごい。心構えもキッズドアや留学の援助プログラムで大きなものを得たね。
北川:キッズドアはやりたいと言ったら、それを叶えるためにどうするのがベストか、勉強も含めてアドバイスしてくれるので、そういう環境にいられたのはよかったかな。
パックン:家庭が乱れたり、家計がきついと、他にない悩みの種があったり、家庭が嫌いになったり、世界が嫌いになったり、動揺する時期だと思うんですね。
そこで身近にいるちょっとかっこいい先輩が話をしてくれると、そのメッセージ性は大きいですね。そういう空間にもなっているんですね、キッズドアは。
将来は官僚になりたい
パックン:2人は、5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?
川﨑:官僚になろうかと思っています。国家を運営するグランドデザインというか、50年、100年という広い視野を持って立案したいなと。
パックン:10年前にもそんな風に思っていました?
川﨑:まったくですね。政治にはあまりいい印象は持っていなかったので。
大学に入ると、同級生が政治の話をしているんです。同級生の会話の内容から関心領域を広げることができたのは大きいかなと思います。
北川:私は交換留学の制度がヨーロッパにあるので、大学在学中に台湾や韓国など提携大学に一回学生として行ってみたいし、将来はMBAまでとりたいなと思っています。
将来は、3ヵ月日本、3ヵ月外国と行き来してビジネスをやってみたいなとか、ベンチャーキャピタル(投資会社)など誰かを支援する側に回るのも楽しそうだなと漠然と考えています。
ただ、日本の大学に行くと思っていたのが、海外に行くことになったし、小学生の時の夢は落語家だったんですけど、それが変わって、変わって、今になっているので、まだ変わるかもしれないです。
パックン:まだまだ若いから問題ない。
海外へ行くと自分の国が客観的に見られる。「自分はかわいそうだな」とか、逆に「自分はラッキーだな」という感覚は、世界の尺度にすると見えてくるものが違うんですね。
惨めさも相対的に感じるものであって、世界基準だとちっぽけに感じることがある。
2人はいまキッズドアでボランティアをしているそうですが、英語で言うロールモデル、憧れの存在は大事です。アメリカだと「ロールモデルになるぞ」という教育を受けるんですね。
2人にもそんな風になってもらいたいです。
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