さまざまな世界で活躍しているダンディなおじさまに、自身の半生を語ってもらう「オヤジンセイ~ちょっと真面目に語らせてもらうぜ~」。
年齢を重ね、酸いも甘いも経験したオトナだからこそ出せる味がある──そんな人生の機微に触れるひと時をお届けする。
本日3月26日(金)、この方のオヤジンセイに触れずにいられるだろうか?小倉智昭・73歳。22年の歴史に幕を下ろした『情報プレゼンター とくダネ!』のメインキャスターだ。
最終回では、妻の手紙が紹介されたり、小倉と親交の深いコブクロがサプライズで生歌をプレゼントするなど、終始アットホームな雰囲気に。小倉は最後のメッセージで、次に始まる『めざまし8』をよろしく、と新キャスターに就任する谷原章介や永島優美アナウンサーに応援のコメントを寄せた。
そんな小倉がフジテレビュー!!取材班の前に登場したのは、3月24日(水)。放送をあと2日残してのタイミングだった。なぜ小倉は喋り手にこだわったのか?実は“補欠の人生”だったと振り返りつつ、辛い時期も楽観的に乗り越えてきた理由を明かす。そして『とくダネ!』の顔として走り続けた22年間を小倉流にぶった斬る。
「皆が俺を泣かせようとしているけど、絶対に泣かねーぞ」
あと2日だね。いつも通り終わるぞ、という感じ。あまりメソメソした雰囲気にはなりたくないからね。皆は俺を泣かせようとしてるんだけどさ、俺は絶対に泣かねーぞ、と(笑)。番組に対する思いもあるけど、そこに関わってくれた人、仲間には本当に恵まれたんだよね。延べ2000人近くいるんじゃない?そういった意味ではちょっとさみしいよな。
この日、小倉は生放送終わりに局内の各所で撮影にのぞんだ。スタジオ、決まって「8 」の楽屋、たくさん本を買った書店「流水書房」。そして『とくダネ!』のスタッフルームへ。放送後の反省会はいつもここで行われてきたが、コロナ禍で1年以上集まるのは中止に。久しぶりに数分だけ顔を出した。
このインタビュー、「オヤジンセイ」ってコーナーなの?俺はオヤジ扱いなの?(笑)改めて人生を振り返ってみると、子供の時は、なんか失敗しても乗り越えてきたな。例えばね、幼稚園ではかけっこは一番後ろだったんだけど、リレーで活躍している子を見ていたら「かっこいいな」と思って。それで練習してみたら意外と速いじゃん、ってなる。水泳もスキーも、やってみたら人よりも良かったから、俺は頑張ればどうにかなるかも、って何事にも前向きなところがあったんだな。
「ちゃんとやればそんなバカじゃない、本来の俺じゃない」
ただ、順風満帆というわけでもなく「補欠の人生」だったんだ。高校は陸上の補欠で入ったし、大学もたまたま補欠で入学。受験で合格掲示板で自分の番号が載ったことがないんだよ。でもね、俺だってちゃんとやればそんなバカじゃない、本来の俺じゃない、っていつも思っていたわけ。
小さい頃から性格は変わらないかな。「後悔しても仕方ない、失敗は将来必ず役に立つ」っていう楽観的な考え方はおふくろに似たのかも。おふくろはいつもけらけら笑って、あけっぴろげでね(笑)。一方で、人に媚を売らない、忖度しない、っていうのは親父の性格を受け継いだんだな。
親父には「ちゃんと勉強しろ」っていつも言われていたな。理系で公式通りで、乱れたところを見せなくて、おっかなくて。親父が帰宅するまで晩ご飯は食べられなかったし、親父だけ一品多いし(笑)。簡単に口きいてもらえなかったし、もちろん話すときは丁寧語。そういう時代だったんだよね。
月に30万円!モテて楽しすぎた大学時代
学生時代、特に大学時代は楽しかったなー。高校時代に陸上で関東一位になっても日本で一位にはなれない、世界で戦うのは難しい、って限界を感じてね。陸上やっているよりもバンドが面白くなって、そっちに走ったの。金になるしね。12チャンネル(当時のテレビ東京)の初任給が3万4500円だったと思うんだけど、大学生なのに一番儲かっていたときに月30万円くらい稼いでいたんだから。いい楽器買ったり、中古の車を皆で買ったり。女の子にもモテてさ、一番楽しかったな。
クレイジーキャッツ全盛期で、コミックバンドがやりたかった俺は張り切っていたのだけど、メンバーがどんどん就職したり、実家を継いだり、ってなって俺ひとりじゃバンドできないじゃん。仕方ないから就職室に行ったら掲示板でフジテレビのアナウンサー募集の紙を見つけたんだ。
フジテレビでは最終試験で落ちてしまって。あとで関係者に話を聞いたら「本当は採用したかったんだ」ってさ。じゃあ、どうして落としたかというと「ちょっと政治的な発言が…」って(笑)。今と同じで、俺は考えていること、言いたいことは言っちゃうからね。作文では「少数意見を反映するのが民主主義だと思う」と書き、面接で「フジテレビのニュースをどう思う?」って聞かれて、「10チャンネル(当時のテレビ朝日)は三派全学連的な見方をするけど、フジテレビは保守的ですね」って思ったことを正直に答えたの。当時の役員は気分を害したらしいね。
フジテレビに落ちて12チャンネルへ 決め手は競馬場での“トレーニング”
フジテレビに落ちて、どうしようかと思っていたら新聞に小さなアナウンサー募集の広告を見つけたんだ。12チャンネルが、夏にいい人材がいなかったら春に向けて再度募集をかけていたんだね、ラッキーだったよ。「競馬番組がやりたいです」って堂々と言って合格。学生時代、練習で走るところがなかったから、東京競馬場で走っていたの。当時、土日は50円で入れたから。競馬場で練習しながら、馬やジョッキーのことも見て覚えていたわけ。入社して研修期間中にベテランスポーツアナから「小倉くん、僕より上手いんだけど。来週からやって」と言われて、翌週から全てのレースを俺が全部しゃべっていたんだよ。
当時、NHKの人気アナウンサーだった鈴木文弥さんが「12チャンネル、いい子を採用したね」と言ってたって聞いて、初めて人から褒められて嬉しかったな。だから、かなり早い段階で「フリーになってやろう」っていう思いがあったんだ(笑)。入社3、4年目で山城新伍さんたちがやっていた『独占!男の時間』っていう深夜の生放送お色気バラエティ番組に出てね、最初は競馬コーナーだけだったのに、秋田弁で実況をやったり、ショーツ姿の女性を膝において実況、とかね。バカ受けしたな、今ならありえないよね(笑)。そんなこんなしているうちに、競馬評論家でもあった超人気司会者・大橋巨泉さんの目に止まることになるの。
憧れの大橋巨泉から「小倉くん、それ何のお弁当?」
巨泉さんとは口も聞いたことがなかったんだけど、競馬場の昼食をとる共有スペースみたいなところがあってね、「小倉くん、それは何のお弁当?」って聞かれて。「唐揚げ弁当です」って答えたら、アルバイトの子に「小倉くんと同じものくれ」って言うんだよ。憧れの巨泉さんに名前を覚えてもらっているんだ!って舞い上がったな。だから巨泉さんに「俺と一緒に競馬番組やろう」って誘ってもらった時、12チャンネルの皆からは制止されたけど「いいえ、フリーになります。失敗したらラーメン店でもやります」って言って辞めたのね。実際ラーメン店はやってるか(笑)。
※小倉はハワイ・ワイキキで「なかむら」というラーメン店を経営
六本木から府中まで6時間かけ徒歩で帰宅
でもフリーになったら、競馬番組以外はなくて、苦労したなー!7年間も。巨泉さんも助けてくれるわけじゃないからね。番組に出演してお金が入っても借金を返さなきゃいけないし。29歳の時、財布に170円しかなくて、でもその日は巨泉さんが人生で初の“カウンターの寿司”に連れて行ってくれたの。六本木の有名店ね。深夜1時に「小倉、帰りのタクシー代あるか?」って巨泉さんに聞かれたんだけど、かっこつけたくて「あります」って(笑)。自宅があるのは府中だったから、歩いて帰ったんだよ。着いたのは朝7時!さらに、なんと9時にまた仕事があるって気づいてさ。まずい!って。電車代もないから開店前の古本屋をたたき起こしてテレビ局で配られた高級そうな非売品の本を売って1万円以上になったのを覚えてる。あのテレビ局には感謝だよ(笑)。
少しずつ出演番組が増えていくんだけど、ずっと憧れていたのはワイドショーだった。うちにはテレビがなくて、皇太子ご成婚の時だから俺が12歳の頃、ようやくテレビを買ってくれてね。もうテレビがすっげー好きでずっと見てたの。そこからワイドショー全盛期になるんだけど、『木島則夫モーニングショー』(64年スタート・NET(当時のテレビ朝日))とか『小川宏ショー』(65年スタート・フジテレビ)とか。スタジオに女優さんを呼んでね、いいなーって。露木茂さんのことも大好きだった。
競馬の実況から始まって、いろんなバラエティ番組を経て、ついにフジテレビの『どーなってるの?!』(93年)に。子供のころから媚を売らない、忖度・おべんちゃらは嫌いなキャラのまま、地でやってたなー(笑)。すごく楽しかったし、通販番組では一日に何億円って売り上げていたんだよ。だから『とくダネ!』の話が来たときは、一回お断りしているの。でもね、フジテレビの人たちは次の年もオファーしてくれて。「じゃあ、朝8時から『どーなってるの?!』まで3時間半やらせてください」って言ったらそれはダメだったみたい(笑)。
大好きなワイドショー!でも長いVTRではなく「頭からしゃべらせて」
『とくダネ!』をやるのであれば「条件があります」って伝えたの。当時のワイドショーがこぞってやっていた、番組スタートから20分以上VTRを流すスタイルをやめること。オープニングはスタジオから、必ず2、3分でいいからしゃべらせてくれって。それであのオープニングトークをやることになるんだけど、日本の競走馬が香港で優勝したときに8分もしゃべっちゃって(笑)。あの時だけ、局のえらい人に「主婦が見ている番組だからその話題で8分はないぞ」って注意されちゃった。
でも、そんなこと以外何にも言われなかった。好きにしゃべらせてもらっていたんだな。それがだんだん変化していって、しまいには「しゃべるな」って。番組開始から十数年経った時、オープニングトークがなくなったの。あれが一番ショックだったね。当時のチーフプロデューサーに「そんなに大きく変えてもいいのかね?本当にいいんだね?」って確認したけど、そこから番組のテイストが少しずつ変わっていったな。
でもね。22年のうち前半は言いたいこと、それに近いことは言ってきたつもり。後半はだんだん言えなくなってきた。局の状況が変わってきた、他局との競争の兼ね合いもある、インターネットの問題、スポンサー、コンプライアンス、BPOが…とかね。炎上は多少は計算済みだったけど、発言の一部が切り取られてネットのニュースになり始めると、番組全体じゃなくてその一言に皆が食いついて、「小倉はこういうやつだ」「辞めればいい」「老害だ」ってなる。こっちだって「気にするな」って言われても、気になるよね。
次の仕事は「しのごの言っている場合じゃない」俳優もアリ?
番組が終わって1ヵ月はゆっくりするつもり。「73歳で番組を辞めます」って言うと、半ば引退だと思っている人が多いのだけど、そうではないよ。確かにフジテレビの司会者の色がついているから、使いづらいと思う。だから自分の好みでしのごの言っている場合じゃない。「こういうお仕事はどうですか」ってお声をかけていただいたら、自分にとっていいと思うものはやろうかな、と。ただ、もう年齢的なこともあって、頭の回転が悪くなったり、覚えていることでも瞬間的に忘れたりするの。それが一番困るんだ。これを忘れないように!って頭に叩き込むじゃん、でもそういうものに限って忘れるのよ。
え?俳優とか別の道も考えるかって?うーん、共演が満島ひかりさんとか、小松菜奈さんなら考える(笑)!新ジャンルの小倉智昭にもご注目を。
撮影 河井彩美
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