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【オヤジンセイ】前川清<前編>「いずれはちゃんとした仕事に」そう思いながらも芸歴51年

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さまざまな世界で活躍しているダンディなおじさまに、自分の人生を語ってもらう「オヤジンセイ~ちょっと真面目に語らせてもらうぜ~」。

年を重ね、酸いも甘いもかみ分けたオトナだからこそ出せる味がある…そんな人生の機微に触れるひと時をお届けする。

今回は、9月16日にニューシングル「歩いて行こう」をリリースする、72歳を迎えた歌手・前川清が登場。唯一無二な佇まいと伸びやかな美声で数々のヒット曲を飛ばし、歌謡界の第一線で活躍し続ける前川。

意外にも「音楽の道には入るつもりはなかった」と語る、歌手・前川清の人生を前編・後編に分けてお送りする。

音楽の道には入るつもりはなかった

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子ども時代は悪いことは何もしない“良い子”でしたね。長崎県佐世保市で生まれ、カトリック信者でしたので「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」(新約聖書内に登場するイエスの言葉)という教えを受けていたからかもしれません。性格はどちらかというと暗いほうで、「悪いことをしたら地獄に行く」とか、そういうことを信じていました。

いつも聴かされていたのは親父の浪曲です。2人の姉は音楽が好きでダンスホールに通っていて、親からすると「そんなところに行くのは不良」という時代でした。そんな姉たちの影響で僕もエルヴィス・プレスリーを好きになり、「歌っていいな、プレスリーってカッコいいな」と思うようになりました。

佐世保には米軍基地があったので、音楽はそこで聴いていて、海外のポピュラーソングには興味がありましたが、日本の歌には興味がありませんでした。だから、音楽の道には入るつもりはなかったんですよね。今でもそうですが、歌も自分では上手いと思ったことはなかったですし。

そもそも電力会社のような安定が望める会社に入ろうとしていたけれども入れなかった。高校も中退したので「食うために」仕事をしなければならない、今でもそうですが常に「いかにして食っていくか」ということを考えてきました。親父にもお袋にも頼れない、そういうところからのスタートでした。

クール・ファイブ加入、一気にスターに

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長崎市内で人気を博していたジャズバンド「クール・ファイブ」(※)に加入し、1969年に「内山田洋とクール・ファイブ」として20歳の時にプロデビューして上京。デビュー曲「長崎は今日も雨だった」がヒットし、その年の『NHK紅白歌合戦』にも出場しました。

(※内山田洋が率いる歌謡グループ。前川清をメインボーカルとして1969年にメジャーデビュー。 2006年に前川のサポートでオリジナルメンバーが集結し再結成を果たし、以降は「前川清&クール・ファイブ」として活動中。前川は1987年にソロ活動を開始 )

でも当時は田舎から出てきたばかりで、気持ちが状況に追いついて行かないというか。あの頃、テレビは歌番組ばかりでしたから、掛け持ちでたくさんの番組に出演するのは当たり前で、ただただ忙しかった。テレビには出ていてもそれをたくさんの人が見ているという感覚が自分にはないんですよね。

歌っていて「キャー!」という歓声を聞いても「こんな人気はいずれ終わる」と思っていましたね。今もそうですが、どこか醒(さ)めた自分がいるんです。元々、クール・ファイブに入った時も楽器運びからでしたし、「いずれはちゃんとした仕事に就かないとな」と思いながらでした。今、改めて考えるとあの頃はすごかったなとは思いますけれども、何となく気持ちと状況が自分の中で成立したのはデビューして10年くらい経ってからでした。

人気絶頂でのスター同士の結婚、藤圭子との1年間

23歳の時に藤圭子さん(※)と結婚をしたのも、今考えると現実ではあるのに、夢のように思えるというか。お互いに忙しくて一緒に食事したこともなかったし、そんな暇がない状況での結婚でした。

(※「新宿の女」「圭子の夢は夜ひらく」などで知られる歌手、前川とは互いに人気の絶頂で電撃婚をし話題に。宇多田ヒカルの母としても知られる。2013年没)

僕は適当だから「まあ、バレないように付き合っていればいいんじゃない?」というのに対して、「それだと面倒くさいから籍入れちゃおう」と、藤さんはハッキリと自分の意思を持った方ですから、コソコソと会うのが嫌だった。こっちが「えっ!?」って驚いているうちに、パパパッと籍を入れて。だから結婚自体は勢いというか、そういう流れでしたね。

それで籍を入れただけでは終わらないんですよね、当時はよくそういう芸能人の披露宴を大々的に放送していたので、それに乗せられたかたちで長崎で挙式をして、ハワイで新婚旅行をしてという大げさなことになっちゃった。本当はただ会いたいがために籍を入れただけ、それで済ませたかっただけなんです。

仕事が早く終わって家でテレビを見ていると藤さんが出ていて、「出ているな」と思っていると、急に今テレビに出ている感じのまま帰ってきて「おっ!藤圭子だ!」と新鮮に驚くこともありました。お互いにほとんどの音楽番組で一緒に仕事をして、そこからまたお互いに違う場所に行く。そういう慌ただしい結婚生活でした。

そして、お互いに忙しいまま1年経って、「夫婦としてどうなんだろう」と疑問がわいてきて、それで別れを選んだ。だからお互いに嫌いで別れたわけではないし、決定的な理由もなかった。別れてからも「外国に行く」とか連絡をもらうこともありました。いきなりアメリカに行くっていうのにもびっくりしましたが、藤さんらしいなと思いましたね。

「手持無沙汰だった」“直立不動スタイル”誕生秘話

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そもそもクール・ファイブはジャズバンドなのでみんな楽器を持って演奏していましたし、僕もコンガとかを叩きながら歌っていたんです。それがデビューしたと同時に楽器がなくなり、目の前にスタンドマイクがあるだけになりました。

初めてフジテレビの音楽番組に出演して歌っていた時に、千秋与四夫さんというディレクターが調整室からスタジオに降りてきて僕に、「ボーっとしてんじゃないよ!動け!」と言った。「え?」って返したら「リズム取ったり、手かなんか出したりしておけばいいんだよ!」って。それでコーラスと合わせて手を前に出して「ルルル~」とかやっていたら、またドタドタ降りてきて「お前は手を出さなくていいんだよ!」って言われて(笑)。

だからなんでこの直立不動な歌唱スタイルになったのかと言われると、マイクがスタンド式だったという時代性と、それまで楽器を持っていたのにそれがなくなって手持無沙汰になってしまったということと、そもそも何していいか分からない、という理由ですね。そのどうしていいか分からない状態が今も続いていて、「突っ立っているだけ」と言われているんですよね。でもそれでここまでやれているのも運なんでしょうかね。

福山雅治が提供した名曲「ひまわり」はギターの御礼!?

年下の素晴らしいミュージシャンの方々、福山雅治さんや桑田佳祐さん、桜井和寿さん(Mr.Children)から「ファンだ」と言ってもらえるというのはもちろんありがたいことです。でも、浸っていてもしょうがないし、今は逆に彼らのことを素敵だなあと思っている部分があります。

「ひまわり」(2018年/作詞・作曲:福山雅治)という曲を福山さんに書いてもらった経緯は、彼がパーソナリティを務める「オールナイトニッポン」というラジオ番組に呼ばれた時のことになります。

福山さんについては、同じ長崎出身だということくらいで、顔もよく知らなくて。それでラジオ番組で初めてお会いしたら、「こんなにいい男なんだ!」と、長崎には、さだまさしと僕くらいしかいないと思っていたから驚いて(笑)。 その時にギターをプレゼントしたんですよ。

以前、ステージでギターを弾いてみようかなと思ったことがあって、ロサンゼルスに行った時にその店で一番高いギターを買ったんです。でも、めちゃくちゃデカいし、弾けないし嫌になっちゃって、コンサートの時に舞台に飾っておいたんです。お客さんも「弾くのかな?」と不思議だったと思いますが、ただ飾っているだけ。

使いようがないから福山さんに差し上げたら、「何か御礼を」と言ってくれたので、曲作りを頼むという間柄ではないけれど、冗談交じりに「曲でも作ってよ」と言ったら、本当に作ってくださって。だから何か“縁”のようなものなんですよね。

これまでもそういう感じです。仕事でも何でも、嫌々ではないけれど自分が好き好んで何かをやるほうではないんです。それでも今までこうしてこの仕事を続けられたのは、その都度あったいろいろな縁によるものなんだと思います。それまでの自分にはなかった曲を書いてくれた福山さん然り、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(※)に誘ってくれて、新しい僕のキャラクターを引き出してくれた欽ちゃん然りです。

(※1975年から5年間フジテレビで放映された萩本欽一による国民的バラエティ番組。前川は萩本と「コント54号」としてコンビを組んで、笑いの才能を開花させお茶の間の人気者に)

前川清のジンセイ。後編では家族でコラボレーションした新曲、人生観について語ってもらう。

【思い出の品】父の腕時計

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僕がデビューした時にプレゼントで買った腕時計です。それをずーっと大事にしてくれていましたね。今こうしてつけてみると、背も小さい人でしたし、腕も僕よりも細かったんだなと思いますね。

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撮影/河井彩美 ヘアメイク/西田美穂子(オフィスナウ)

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