9月2日(水)に放送されたフジテレビ『TOKIOカケル』は、ロンドンブーツ1号2号こと、田村淳&田村亮が出演。これまで聞かれたことがないであろう質問をTOKIOがぶつける「生まれてはじめて聞かれました」で、爆笑トークを展開した。

コンビそろっての登場に、長瀬智也は「やべぇ、ロンブーだ!」と興奮。一方の亮も「こっちもですよ!やべぇ、TOKIOだよ」と初共演を喜んだ。

ともに94年デビューということが判明し、さらに盛り上がった2組。淳が「もう社長?もうすぐ社長?」と、株式会社TOKIOの社長へ就任することが決定している城島茂へ聞くと、城島は「来年の4月から」と返答。

いきなりの質問に挙動不審な態度をとった城島へ、すかさず松岡昌宏が「なんでオドオドするの?」とツッコミ。淳は「(僕は)株式会社LONDON BOOTSの社長なんで、後ほど名刺のほうを」とビジネスマンよろしく、挨拶を交わした。

コンビ結成のきっかけは“タバタさん”

国分太一から出た質問は「あの時のアレ、何だったの?」というもので、「淳さん、覚えてるかな…」と話し出すと、突然「あ!思い出しました」という淳。

約20年前、目黒通りの側道を歩いていた国分は、淳が運転する車を発見。面識はなかったものの、うれしさのあまり、目で追いかけたところ、その視線に気づいた淳が大きく手を振ったという街なかでのエピソードをうれしそうに振り返った。

淳はプライベートでタレントと会うとよく手を振るといい、女性タレントを見かけた時は車を降りて電話番号を聞きに行くという、ナンパのようなことをしていたことも告白。その後夫婦となった品川庄司の庄司智春と藤本美貴が出会ったのも、庄司と車で渋谷を走っていた時に、藤本を見かけ、庄司に声をかけさせたことがきっかけだったとぶっちゃけた。

城島は「ロンブー結成当時、原宿のホコ天(歩行者天国)で活動していたと聞いたんですけど、僕らジャニーズ事務所の合宿所も原宿にあったんですよ。ホコ天は10代の頃から見に行ってたんですが、いつの時代にやっていたんですか?」と質問。

これに淳は「92年から、94年に吉本入ってからもしばらくやっていて、95年くらいまでやってました」と回答。「ホコ天から出てきたJUN SKY WALKER(S)というバンドが好きで、東京で何かをアピールする時はホコ天でコントをやってみよう」との憧れからホコ天でネタを披露していたことを回顧した。

すると、そもそも山口県出身の淳と、大阪府出身の亮がどう出会ったのか、ということにTOKIOが興味を示す。淳は高校生の頃から地元で友人とコンビを組み、お笑いコンクールなどでかなり稼いでいたものの、高校卒業後に上京した途端挫折し、コンビは解消。

10才年上のタバタさんなる人物と新たなコンビを組んだが、年齢差からうまくいかず、タバタさんが紹介してくれた人物こそ、亮だったという。

ロンドンブーツ1号2号を結成した2人はトントン拍子でスターダムへ。初めてのケンカに話がおよぶと、淳が「やりたくもないツッコミをやらされることが多くてイライラしていた頃、ロボットの格好をした亮さんに蹴りを入れたら運悪くみぞおちに入ってしまって、亮さんに『殺すぞ』って脅された」と苦笑いで告白。

血気盛んな当時のVTRを見ながら、淳は「ここからはケンカしてないですね」と、最初で最後のケンカだったことを振り返った。

プレ社長の城島へ、すでに社長の淳がアドバイス

長瀬は「ロンドンブーツの未来予想図を聞かせてほしい」とリクエスト。相方の亮にもまだ話したことがないという淳が「ロンドンブーツを増やそうと思ってる。せっかく1号2号という名前なんだから、メンバーを増やすことをこれから先やってみたい」と告白。

松岡が「すげぇ面白い!俺も参加したい」と身を乗り出すと、城島が3号、国分が4号、松岡が5号、長瀬が6号に立候補。淳は「TOKIO丸々入ってくれるの?」と感激し、「社長、あとでいろいろと…」と城島へ契約をもちかけた。

国分が「リアルな話をすると、株式会社TOKIOが掲げているものと似ている。僕らもグループからチームにしたかった」と言うと、淳は「必要な時に集まって、そうじゃない時は個々で動く。集まれる場所さえあれば、なんとでもできる」と今後の野望を提示。

城島が「会社を立ち上げるのって、手続きとか大変ですね」とつぶやくと、淳は「立ち上げたあとのほうが大変ですよ。タレント業とはまったく違う」と“社長の先輩”としての苦労をのぞかせていた。

次週9月9日(水)23時放送の『TOKIOカケル』は神木隆之介が登場。デビュー25周年を迎えた若きベテランならではの、豪華交友録を明かす。