錦織一清 5年ぶりに俳優として舞台へ「最初は漠然。徐々に気持ちが乗っていった」
錦織一清さんが最新作に懸ける思いを明かしたほか、自身の半生を振り返りました。
まもなく開幕する舞台「サラリーマンナイトフィーバー」で、脚本・演出を担当する錦織さん。演出家として、ミュージカル、ストレートプレイと多岐にわたって活躍していますが、今回、5年ぶりに舞台へ立つことも大きな話題です。
そんな錦織さんが、自身の半生を語る「オヤジンセイ~ちょっと真面目に語らせてもらうぜ~」に登場。
「サラリーマンナイトフィーバー」制作秘話や、57歳の“いま”について聞いたほか、病弱だった少年時代から、恩師・ジャニー喜多川さんに「YOUは天才!」と言わしめたアイドル時代。そして、演劇の師と仰ぐつかこうへいさんとの出会いなどたっぷり語ってもらいました。
錦織一清さんフォトギャラリー(写真22点)
現代の日本を舞台にした物語を描きたいと、20年以上前から企画
――「サラリーマンナイトフィーバー」は昨年、上演された作品の再演ですね。
昨年はコロナの影響で配信となりましたが、一昨年は有観客で上演したので、正確には3度目となります。
――今回は脚本・演出だけでなく、俳優として5年ぶりに舞台に立つことも特別だと思いますが、出演に至った経緯を聞かせてください。
別に出ないようにしていたわけではなく、今回、オファーをいただいたからです。結婚式と舞台だけは「出てくれ」と言われないと、行けないものですからね(笑)。
最初は漠然としていましたが、パンフレットの撮影をしながら「久しぶりの撮影だな。やっぱり出るんだな」と、徐々に気持ちがのっていきました。ただ、今はセリフを覚えられるかが心配ですね。自分のセリフは3行ぐらいまでにおさめるつもりです(笑)。
――錦織さんが演じるのはどのような役柄ですか?
僕はとある会社の社長を演じます。(自分が)あと、3年で定年(の年齢)ですし、そろそろ、社長のポジションをやってもいいんじゃないかなと思って。
――構想20年と聞いていますが、制作のきっかけを聞かせてください。
現代の日本を舞台にしたものが描きたかったんです。現代ものっていうと小劇場がやっているのが主で、大劇場ではなかなかないでしょう?
構想20年とチラシにありますが、実はもっと以前から考えていて。日本社会の中のことをミュージカルにしたいな、舞台にしたいなという思いがずっとあったので、上演にこぎ着けたときは念願の第一歩という感じでした。だって、もっと我々の日常に関係のある話が見たいじゃないですか。
サラリーマンの友人から「俺たちが見られるものはないの?」と…
――なぜサラリーマンにスポットをあてようと思ったのですか?
有楽町界隈で舞台をやったときに、見にきてくれた地元の友人から、「もうちょっと俺たちが見られるものはないの?」って言われたんですよ。考えてみたら、新橋や日比谷がこんなにも近いのに、サラリーマンが親近感をもって見る作品がほとんどない。まぁ、彼らは観劇するより、ガード下で呑んでいるほうがきっと好きだろうしね。
そういう人たちにも劇場に来てほしいと思ったんです。偉い人たちは「これからは若い人にも演劇を見てほしい」と言うけれど、僕はちょっと違う考えで、僕ぐらいの年齢の人にこそ見てもらうのが正しい形なんじゃないかなって。
――今のサラリーマンは錦織さんの目にどう映っていますか?
僕はサラリーマンこそ、世の中を守っている人たちだと思っています。もちろん、大手企業に勤める人もそうだけど、もう少し裾の部分である下請けや中小企業の人。そんな人たちが実は日本を支えているじゃないですか。そういう人たちにこそスポットをあてたかった。
うちの親父の時代であれば、皆、髪型は七三分けか(1950年代に流行した)慎太郎カットで似たような背広を着ていたけれど、今のサラリーマンって短髪もいれば長めの髪の人もいて。昔と比べて、それぞれの個性がありますよね。
――演出家として作品に携わるときと、俳優として参加する場合において、スタンスの違いはありますか?
過去にもジャニーさんが監修した作品で脚本を書いたり、共演の後輩たちに演出したりしていたので、“演出家”としてクレジットされるようになったからこんな演出の仕方になりましたとか、自分の中では心当たりがないんです。昔から「誰かに任せっきり」みたいなことはしていなかった感も否めませんしね。
――この作品で錦織さんが最も見てほしいのはどのような部分でしょうか?
作る側からすると当然すべてに注目してほしいという思いがあるのですが、「こんなシーンを見てほしい」というところって、単なるハイライトシーンのことだと思うんです。
自分の中ではそういうギミック的なことではなく、冗談みたいなものも多い脚本の中で、その裏側にある人間の本質の部分。これはサラリーマンの父親と高校生の娘をクローズアップした物語で、今は昔と違って父親と仲のいい娘さんも多いらしいけど、どうしてもボタンを掛け違えてしまう時期をピックアップして、芝居にしました。
親子の仲がそうなってしまった原因は何だろうと考えたとき、実は原因なんてものはなく、互いを思いやるがゆえに、誤解を生んでしまっていたというような。その中にある“何か”を見てほしいんですよ。
演劇って目と耳に届けるだけではなく、気持ちをダイレクトに届けるものだと思うので、そんなところをぜひ感じとっていただきたいです。
父が買ってくれたレコードや、教育テレビで聴いた音楽から影響を
――東京の下町で生まれ育った錦織さんは、どのような幼少期を過ごしましたか?
小学校低学年ぐらいのころは体が弱く、学校を休みがちでした。両親は共働きで、親父がレコードのジャケットを印刷する会社に勤めていたんです。そうするとレコードが社割で買えるので、家で退屈しているであろう僕のためにと、父がレコードをたくさん買ってきてくれましてね。文部省推奨歌みたいな「トム・ピリビ」や「クラリネットこわしちゃった」、ペギー葉山さんが歌う「ドレミの歌」など。おふくろが仕事へ行っている間、ずっとそのレコードを聴いていました。
テレビは3チャンネル(当時は教育テレビ、現=Eテレ)が好きだったな。ノッポさんの『できるかな』や、小鳩くるみさんが出てくる『なかよしリズム』をよく見ていて。だから、僕がミュージカルを作ると、どうしても『なかよしリズム』みたいになってしまう(笑)。音楽の影響はそこで受けたと思います。
――小学生のころ、すでにバック転をマスターしていたそうですが…。
うちのおふくろは今風にいうと医療従事者、当時は看護婦さんで、僕の体のことをすごく気遣って、神経質に育てたんです。でも、僕自身「もうどうでもいい」と思って荒川の土手で遊んだり、ワンパクに過ごしたりしているうちに、体がどんどん丈夫になっていきました。
6歳上の姉が小学生のときにおふくろがPTAのママさんバレーをやっていて、僕は幼稚園ぐらいだったかな。体が弱いし、家においておくのも心配だからとバレーボールの練習に連れていかれ、体育館の端っこに敷かれたマットで遊んでいたんですよ。『仮面ライダー』が流行っているころで、ジャンプをしたり、でんぐり返しをしたりしているうちに、いつのまにかバック転ができるようになっていました。
アイドル時代、何の番組に出ているのかわからず歌っていたことも
――小学6年生でジャニーズ事務所へ入所したんですよね。
高校生だった姉が郷ひろみさんのファンで、おそらく(アイドル雑誌の)「明星」や「平凡」で募集記事を見たんだろうね。ジャニーズ事務所って男の子しか採用しないから、弟がいる人はこぞって応募していたみたい。
突然、電話がかかってきて、六本木にあったテレビ朝日のものすごくカビ臭い3リハという部屋に呼ばれて。何をするのかわかっていないから稽古着も何も持ってないんですよ。
高校生ぐらいのお兄さんたちにまぎれて汗だくで踊っていたら、そのお兄さんたちよりも僕のほうがちょっと出来ちゃったみたいで、ジャニーさんがビックリして「YOUは天才!」と言ったんです。
――初仕事は覚えていますか?
東京・大阪・名古屋で行われた狩人のファーストコンサートツアーで、狩人の少年時代を描く寸劇みたいなものが歌の合間にあったんです。狩人はジャニーズ事務所の所属ではなかったのですが、そこで幼少期を演じたのが僕、中学時代を演じたのが野村のヨッちゃん(義男)でした。
そのころのジャニーズ事務所はJJS(JOHNNYS’ジュニア・スペシャル)がそろそろ解散という時期で、フォーリーブスが解散する1年前だったかな。(川崎)麻世くんが「ラブ・ショック」でデビューしたばかり。たのきんトリオ(田原俊彦さん・野村義男さん・近藤真彦さん)が結成される前でした。
――合宿所生活での思い出を聞かせてください。
広いリビングがあって、そこに『ザ・ベストテン』(TBS)で出演歌手が登場するときのミラーゲートをジャニーさんがもらってきて、ダンスができるようになっていたんです。
僕もよく踊っていましたが、一番思い出に残っているのはトシちゃん(田原さん)が、振り付けが終わった後もずっと練習していたこと。「振りを覚えたら、ここから自分のものにするまでには時間がかかるからな」と言って、夜中まで練習していたことを覚えています。
――少年隊がレコードデビューした1985年は歌番組全盛期で、多忙を極めていたと思いますが…。
実はそんなに大変ではなく、たのきんトリオに比べたら、ラクさせていただいたんじゃないかな。当時のたのきんは、僕らが寝静まった後に合宿所へ帰ってきて、起きたらもういなかったからね。
ただ、歌番組に出ながら、映画の撮影が入ったときだけはまいりました。映画の撮影をして、夜中にニッポン放送でラジオの収録をして、また撮影所に戻って。
月曜から日曜まで、ほぼ毎日どこかのテレビ局で歌っていて、テレビ朝日へ行くと「歌のところだけ撮らせてくれ」と言われて撮り貯めをして、自分が何の番組に出ているのかすらもわからない状態。
生放送も多かったし、NHKの『レッツゴーヤング』とか公開番組もありましたしね。その合間にアイドル雑誌の取材。マネージャーに「明日の仕事、何?」と尋ねて、「オフだよ」と言われたときのうれしさといったらありませんでしたね。
舞台「サラリーマンナイトフィーバー」最新情報は、全国公演はこちら、大阪公演はこちらにて。
撮影:河井彩美

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