エンターテインメントの裏側に密着する番組『連続ドキュメンタリー RIDE ON TIME』。Season3のトリを飾る、V6の特集がスタートした。
2月26日(金)に放送されたのは、#1 Coming Century。
V6は、1995年に結成。坂本昌行、長野博、井ノ原快彦の年上3人からなる「20th Century(通称トニセン)」と、森田剛、三宅健、岡田准一の年下3人からなる「Coming Century(通称カミセン)」で構成されている。
CDデビュー当時、坂本は24歳で、ジャニーズ史上最年長デビューだった。一方の岡田は14歳で、バラエティ番組のオーディション企画に合格後、約3ヵ月後にはデビュー。その最速記録はいまだに破られていない。
年齢差もさることながら、ジャニーズJr.としての経験値もまったく違う彼ら。しかし、誰一人欠けることなく、2020年11月に25周年を迎えた。
番組は、その25周年記念の配信ライブに向けたリハーサルや、個々の活動に密着。今回はカミセンの3人の本音に迫った。
岡田准一 順風満帆な活動の裏で抱える葛藤
グループ最年少の岡田は、14歳のときに大阪から上京し、V6としての活動をスタート。その時、バッグに入っていたのは、ドライヤーのみだった。「そばが一番安くてよかった。食べなきゃいけないから、3年間同じメニューを食べていた。着替えも買わなかったし」と当時を回顧。「だから、『ずっと岡田はオーバーオールで生活してた』ってみんな覚えていると思うんですけど…お金がなかっただけ」と、真相を語った。
そして、芸能界という世界で長く生きていくための武器を得ようと模索。自ら、アクションの道を選び、数々の映画や時代劇に出演してきた。また、カリ、ジークンドー、USA修斗といった複数の武術や格闘技のインストラクター資格を取得し、その道を極めている。
「日本にエンタメど真ん中の作品があまりなかったので…自分、ジャニーズだし、エンタメ(の真ん中)だし。だから(アクションの道に)進んだら、軍人か侍しかやらないオタクになっちゃった(笑)」と、アクションを極めた経緯を語った岡田。
現在では、その能力を生かし、映画「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」(近日公開)などで、自らアクションを構成し、主演としてだけではなくアクションをつかさどる役割を果たしている。もちろん、自らもとことん体を張った。
だからこそ今抱える思い。それは、「39歳という年齢で、普通の人には分からないズレがあるんですよ。もっとチャレンジできないのかなとか、そのあがきみたいなのがずっとある」ということ。「のめり込めたのか、狂えたのか、孤独でいれたのかとか。そういう、ものづくりの葛藤みたいなのが大きくなっていく」と、悩みを明かした。
はたからすると順風満帆にも見える岡田の芸能生活だが、悩みは尽きないよう。SNSには「どこ行っちゃうのと不安になることがあるけど、最近いい顔してる」「頑張りすぎないでほしいけど、突き進んでほしい」と、岡田の仕事へのスタンス、ストイックさを受け入れ応援するファンのコメントが並んだ。
シャイな森田剛の“表現”へのこだわり
ある日、バラエティ番組の収録で、V6が学生たちと笑顔で触れ合っていた。森田は「いい顔とか、いい目が見れたらいいなと思ってたから、ああいうの(10代らしい青春をする姿)を見れたり、感じられたりすると、本当にやっていて良かったなと思います」と、穏やかに語る。
13歳で事務所に入った森田。デビューしてからしばらくはやんちゃで、トニセンの手を焼かせることもたびたびあったとか。「思いが違いますからね。僕ら(カミセン)と上の3人(トニセン)は。僕らは何も考えないで、楽しけりゃいいやって感じでやっていたから。その差は大きいですよね」と、16歳でデビューした当時を振り返る。
しかし、2005年に、劇団☆新感線の舞台「荒神~AraJinn」で初主演を務め、舞台の魅力に目覚める。稽古場で一つ一つ積み上げていく仕事が森田を磨いていった。
配信ライブのリハーサル室には、1人、振りを確認する森田の姿が。デビュー前から見てきた振付師は、「V6を最初振り付けしたときに、振りから、位置から、一番きちっと守ってたのは剛だから。ああ見えて一番きちっとしてるの。そこが面白い」と語る。変わらぬ、その陰の努力を買っていた。
そんな森田の苦手な仕事は、写真撮影。「もう少し笑顔を」と求められると、「これ、マックスです(笑)」といたずらっぽく発しながら、対応していく。
その姿を見ていた密着スタッフが「省エネですね?」と問いかけると、「失礼だな(笑)。全然わかってないね。それまずいですよ、番組を作る上で」と、冗談交じりに指摘。その上で「そう見えるのか。そりゃそうか。俺は省エネにこだわっているわけじゃなくて、バランス(にこだわっている)。自分のバランスもあるし、全体のバランスもあるし」と、思いを明かした。
ファンの間では、シャイだけど人思いであることが知られている森田。「剛くんのバランス感覚ステキだと思う」「剛くんって6人のつながり、誰よりも大切にしてるよね」と、SNSには思いをはせるファンが多く見られた。
三宅健 心残りから始めた手話
配信ライブのリハーサル中、慌ただしく部屋のドアを開けるスタッフ。三宅が「これだけ人が集まってるんだから、ちゃんと換気をさ(しないと)。俺たちは集中していて指示は出せないから」と、スタッフに進言したのだ。
三宅は、2020年に緊急事態宣言が出たころから、自分のブログを毎回、医療従事者へ思いを寄せた言葉で締めくくっている。その理由は、「別に医療従事者だけじゃなくて、自分たちの私生活を支えてくださってる方々は本当にたくさんいるから。スーパー、コンビニ、介護施設、銀行で働いている人もいるだろうし。そういうところに思いをはせてほしい」という思いがあるからだという。
13歳で事務所に入った三宅は、デビュー前からそのルックスが注目されていた。そして、森田との「剛健コンビ」は、ジャニーズJr.として、当時異例の単独コンサートを開くほどの人気を集めた。
デビューして10年たった頃から、自ら手話を学び始めた三宅。きっかけは10周年を記念して行った握手会だという。1日数千の人と握手をしたその場で起きたことを「本当に一瞬の出来事なんですけど、その時にろう者の女の子がいて、手話で話しかけてくれたんだけど、僕はなんて返したらいいかわからなくて、言葉を発することができなくて」と、回顧。
「ファンの人に何も返せなかったっていうのは、すごい自分の中では心残りだったので。気になっていて、引っかかっていて。勉強してみようかなと思って」と、3年ほど区の講習会に通い続け、手話を習得した。
その経験から、「自分たちが発信するものを、ろう者の人も、誰もが楽しめるコンテンツにしたいなと思って、僕らのDVDは、MCも含めてすべて基本的に字幕をつけることを選べるようにしています」と、ファンのため、行動に移していた。
ジャニーズJr.時代から人気でありながらおごることなく、常にファンを第一に考える三宅に、「ファンへの思いに涙が止まらない」「“アイドル”であり続ける三宅健、本当に尊敬できる」と感激のコメントが多くつぶやかれていた。
次回、3月5日(金)の放送は、デビュー25周年を記念した配信ライブのリハーサルに密着。デビュー当時からグループを引っ張ってきた20th Centuryの本音に迫る。