近頃、テレビでも街中でもよく目に・耳にする言葉のひとつ「SDGs」。

“Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)” の略称で、人類が今後も地球で暮らし続けるために国連加盟193ヵ国が2016年から2030年までの15年間で達成すべく掲げた「Goals=道しるべ」である。

…と、つらつら述べてはみたものの、恥ずかしながら何も見ずにこれが書けたわけではない。「SDGs」「持続可能」「目標」「地球全体の課題」など、ざっくりと、なんとなく、ふわっとした知識だけが脳内にインプットされていた。むしろ、その状態をインプット、と呼んでいいのかも甚(はなは)だ疑問ではある。

ただ、私も漏れなくその「人類」の一人である以上、これが他人事(ひとごと)ではなく自分事だということはわかっている。

しかしながら、実際問題として、自身にとって最大限身近なSDGsといえば、せいぜいエコバッグやマイタンブラー程度。それが地球規模の話にどう直結するのかと問われた際には、プラスチックごみの…削減…?と曖昧(あいまい)に答えるしかできないのも正直なところまた事実だった。

そんな折、フジテレビ・BSフジ・ニッポン放送の3波が連合したプロジェクト「楽しくアクション!SDGs」の関連番組のひとつとして、2019年大阪サミットをはじめとするG20の会合で採用されグッドデザイン賞など数々の賞を受賞したという実在の商品開発ストーリーを基に描かれた本作、SPドラマ『木のストロー』が制作された。

率直に言って、こういった案件そのものを「きれいごと」と捉える方もいるだろう。だが、こうした機会をつくることには、世間に広く情報を届けられる担い手だからこその社会的な意義があると思う。

テレビをつけたらドラマをやっていたから何気なく見た――。そのキッカケはすごく些細で、しかしとても貴重だ。このドラマは、私のようにSDGsについてふんわりと知っているが、どこか現実味を感じていないという人にこそ、ぜひ届いてほしい、非常にシンプルで真っ直ぐな作品である。

どれだけ目の前の壁が高かろうが決して諦めない力

主人公・若木陽菜(わかぎ・はるな/堀田真由)は、住宅メーカー「オーセントホーム」の大阪支社で3年連続トップ成績を誇る、若手エースの営業社員だ。その業績が評価され、本社の広報課に異動の命を受けたところから物語は始まってゆく。

程なくして広報課の業務の一貫で参加したイベント 「森のゴミ拾い」 で出会った環境ジャーナリスト(今村美乃)から、今自分が立っているこの森も森林管理が整わないと将来的には土砂災害の被害に繋がるかもしれない…といった現状を知らされる。

だが、この場面で2人の会話に何度も登場する「カンバツ/カンバツザイ」という言葉を「間伐/間伐材」と一発変換できる人は、果たしてどれくらいいるだろうか。

作中でもセリフで説明があるが、先に少し補足しておくと、間伐とは森林を守るために密集した立木の一部を伐採すること。

間伐が正しく行われきちんと地表に光が当たった林内は、植物が生え土砂の流出防止機能などが高くなり、樹木そのものの生育も良くなり、弱らず太く折れにくい幹に成長できるそうだ。

その間伐作業によって生まれるのが間伐材である(漢字を見ると割とすぐ理解できるのだが、SDGsビギナーの私は、言葉のみで流れるカンバツ/カンバツザイの音を正しく変換できず少しポカンとしてしまった)。

陽菜は、この出来事を機に、間伐が行われていれば防げる災害もあったのではないかと考え始め、異動初日に先輩社員・青山悠人(あおやま・ゆうと/片寄涼太)から自社が謳う“環境貢献企業”について渡された資料の中に、「人間が捨てたストローが鼻に詰まってしまったウミガメ」の写真があったことを思い出した。

そこで間伐材の再利用とプラスチックごみの削減が同時に叶う「木のストロー」という商品案を思いつく。

製作実現に向け早速奔走するも、上司である奥沢塔子(おくざわ・とうこ/鈴木保奈美)をはじめとする社内の反対や根本的な技術問題など幾つもの困難が待っていた。

だが、どれだけ目の前の壁が高かろうが決して折れず諦めないその力の根源には、彼女自身が幼少期に土砂災害で被害を受け自宅を失った、という過去が大きく起因しているのだった。

「暮らしって、家だけじゃない」かつて自分が体験した暮らす場所を失う恐怖や不安を、もう誰にも味わってほしくない。土地・地球を含めて誰もが安心して住み継いでいける“環境”を守りたい。

陽菜は、木のストローこそ、その約束の証だと考えるようになる。

ここでいきなりこんなことを言うと身も蓋もないかもしれないが、そもそもこのドラマは実話を基につくられているので、見る前から木のストローが完成することを視聴者はわかっているし、そこにハラハラドキドキすることが本来の目的でないとも思う。

堀田真由という最高純度の光

しかし、結末を知っていてもなお、陽菜がその完成まで苦節を重ねる過程にしっかりと心を寄せられた大きな理由のひとつが、紛れもなく“堀田真由という最高純度の光”が常にまぶしく輝き続けていたからである。

『いとしのニーナ』(フジテレビ)で見せた強気で意地っ張りのキュートな小悪魔的女子高生、同性愛者の兄のために代理母出産を決意し、母との確執や自らの母性など複雑な感情に揺れる『サロガシー』(フジテレビ)の建築士。

そして、今作の明るく行動力に溢れながらもひとさじの繊細さが滲(にじ)む陽菜もまた、彼女ならではの魅力が満載だ。

一視聴者、一ファンとしての個人的な見解ではあるが、堀田真由さんの“特有の色”はサッパリとした愛らしさだと思う。制作発表の場で鈴木保奈美さんが彼女を表現した「芯があるのにふにゃふにゃしている」は、まさに言い得て妙だと感じたのだが、随所でそれが遺憾なく発揮されていた。

例えば、ファッション。冷静で切れ者な役柄のままシックでコンサバティブな色合いに身を包んだ塔子とは対照的に、陽菜はパステルカラーの色・柄で柔らかくフェミニンな雰囲気を纏(まと)っているのが印象的である(作中序盤でも、異動初日に天真爛漫を絵に描いたような出で立ちで挨拶する陽菜の容姿を、一瞥し絶句する塔子の様子が非常にユーモラスであった)。

一見するとただ可愛らしいだけに思えてしまうところだが、そんな彼女から放たれるのは不思議と「甘さ」ではなく一貫して「強さ」なのだ。

堀田真由さんが持つ、濁りのない澄んだ声と根底に通う品の良さが、愛らしさの中にスッと立つ一本の芯を際立てる。だからこそ、陽菜が木のストローの実現に向けてどれだけ独りで張りきって空回ろうともまるで嫌味がなく、ブレのない直(ひた)向きな姿勢をただ素直に応援したいと思えた。

ドラマの中ではたびたび、ストローを覗き込むカットが象徴的に描かれている。実物の「カンナ削りの木のストロー」は、長さが約210㎜・口径が約4㎜だそうだ。

陽菜が木のストローをつくろう、と思い立ったのは「世界を変えるため」などといった壮大な目的ではない。自分の目の前に存在する「もう誰にもつらい思いをしてほしくない」「何かできることがしたい」――。

そんな信念を貫こうと小さな穴を必死に覗き込む姿に、誰もがまだまだ見通しの立たない不条理で困難な状況と闘う今の世の中にも通ずる凛とした希望を感じた。

“SDGsは我々人類が取り組むべき地球全体の課題”と捉えると、あまりにも大きすぎて本質が見えなくなってしまいそうになるけれど、紐解いてゆけばそれはきっと陽菜と同じく一人ひとりの“21センチ先”にあるような確かな未来の自分事なのだ。

自身の中でぼんやりとモヤがかけられていた「道しるべ」について再認識させてもらえる、とても清らかな作品である。