戦場の塹壕(ざんごう/敵の攻撃から身を守るための穴や溝)にそれぞれ取り残された敵同士の2人の兵士が、お互いをモンスターだと思い込み、その存在に対する恐怖と疑心暗鬼にさいなまれていく姿を描いた舞台「ボクの穴、彼の穴。」。 

宮沢氷魚と大鶴佐助の二人芝居によって展開されるこの舞台は、2016年の初演以来の再演となる。

“見えない敵”に対して妄想を膨らませ、恐怖心を募らせるさまは、今、世界中が抱える不安な状況とも、どこかリンクしていると言えるだろう。  

前編・中編と、舞台について、そして2人の関係性について聞いてきたが、後編となる今回は、劇中のキーとなるアイテムや展開を軸に、役者として、1人の人間としての“今”を作り上げるきっかけとなった経験について深く話を掘り下げる。

10歳での気づき「自分の未来は何ひとつ決まっていない 

──お2人にとって、劇中の「戦争のしおり」のような、自分の人生の指針になる、バイブルのようなものはありますか? 

宮沢なんだろう、難しいな…。 

大鶴ちょっと考えてもいいですか(笑)? 

宮沢:…すっごくベタなものでもいいですか?僕、一番好きな映画が「バックトゥーザ・フューチャー」で、全3作大好きなんです。シリーズの一番最後の、“ドク”の名言なんですけど「未来はまだ決まっていない。未来を作るのは自分だ」という言葉。あれだけ散々、ある種“作られた”“完成された”未来に行っていたのに、最後の最後で「あなたの未来はあなた自身が作るんだ」みたいなことを言うんです。それがすごいなと思いました。 

この映画を観ながら、どこかで「自分の未来って決まっているんだな」って思うところがあって。でも、ドクのセリフで、「自分の未来って何ひとつ決まっていないんだ」「自分の決断ひとつひとつが重なっていって、未来ができていくんだ」と感じて、未来も捨てたもんじゃないなって思ったんです。 

大鶴いいねぇ。 

──それはいつ頃の経験ですか? 

宮沢10歳くらいです(笑)。当時、すっごく感動しましたね。 

──大鶴さんはいかがですか 

大鶴バイブルとまではいかないですけど、「特権的肉体論」(大鶴の父・唐十郎著)っていう本があって。”特権的肉体”っていうのはどういうことなのかなっていうことは、今でも考えますし、特権的な肉体をいつか持てたらいいな、とはすごく思います。 

内容としては、「演劇手法」と「演技手法」について書いてあるんですが、難解すぎて…。それを体現できたのは、麿赤兒(まろ・あかじ)さんだけらしく。麿さん、もちろん暗黒舞踏のジャンルで特に素晴らしい方ですけど、演者としての”特権的肉体”ってどこにあるのかなって、よく思います。 

理想としては、自分の体がいつか”特権的”になれてたらいいなとは思います。そのためには、いろいろと努力をしなきゃいけないんだろうな、とか、思いますよね。 

──お2人に「演技のしおり」というものがあるとしたら、そこには何が書かれていますか? 

大鶴「大きい声でセリフを言う」。これ、結構大事だと思うんですけどね。 

宮沢最近何かで言っていたよね。 

大鶴:あれ、そうだっけ(笑)?基礎的なことですけど、結果的に一番大事だったりする。エネルギーがありますからね、それだけ。 

宮沢僕は、佐助が昔から大事だと言っていて、その通りだなと思うのが「言葉」。「言葉」を伝えるのが役者だと思うので、その「言葉」を疎(おろそ)かにしているうちはダメ。「言葉」をなんとなく発するのではなく、ちゃんと意志と意味が込められた発信をすることが必要かなと思いますね。 

挫折と気づきを経験したからこその“今” 

──劇中では、いざ相手を知ってみたらモンスターじゃなかった、相手にも家族がいた、といった、「知ってみて初めて気づいたこと」が描かれていますが、お2人にもそういった経験はありますか? 

大鶴19歳のとき、初めて「テント芝居」をやってみたときのことですね。物心ついたときから、そういう(芝居が身近にある)環境にいたので、たくさん見ていたし、できると思っていたんです。でも、いざやってみたら「あ、自分ってこんなにできないんだ」って、すごく思いました。 

「もっと表現できて、お客さんの反応をかっさらっていくんだろうな」なんて思っていたんですけど。全然そんなことなくて、自分ってこんなに芝居できないんだと、強く感じたのを今でも覚えています。 

絶対リベンジしようと思って、3年前くらいにやったとき、ちょっとはパワーアップして戻れたかな、とは感じましたけど。 

宮沢僕は野球かな。小学3年から大学3年まで、ずっと野球やっていたんですけど。自分で言うのもアレですが、めちゃくちゃ上手くて(笑)、オールスターに選ばれたり、基本的に4番サードとか、1番ショートとか、花形をやっていました。 

大学でアメリカに行くことになって、野球は続けたいなと思ったんですが、僕が行きたかった学校の野球チームはそんなに強くないみたいで。近くに海もあってサーフィンもできるので、どうせ結構遊んじゃうだろうし、そこそこのチームでいいやって。そんな気持ちで気軽に行ったら、みんなマジで上手かったんですよ。2mくらいある、メジャーリーガー級の体格のやつがいたり。その時初めて、ショートのポジションで4番手くらいになって、試合にも出られなくなったんです。 

あれだけ自分ができていると思っていたのに、世界ってこんなに違うんだと知りました。そのチームも、リーグの中では1番弱いほうなのに。上の人たちはどれだけすごいレベルでやっているんだっていうのを、その時感じたので、その時から、もうあんまり調子に乗るのはやめようって(笑)。上には上がいるんだっていうことをわかっておこうという教訓になりました。 

──その、スタメンの座は奪えましたか? 

宮沢:はい、とりました!最終的には。でも、それで満足しちゃいました。その後日本に帰ってきたんですけど、アメリカで一度プレーしちゃうと、日本のチームではどこか物足りなさを感じてしまって。それと、お仕事がちょうど始まったタイミングだったので、ケガもできないし、やめてしまったんですけどね。でも、それはアメリカに行ってみないとわからなかったことだし、行ってよかったなと思います。 

舞台「ボクの穴、彼の穴。」は、東京芸術劇場 プレイハウスにて9月17日(木)より上演予定。詳細は公式サイトで確認を。

メイク(宮沢氷魚):KOSUKE ABE(traffic)