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「インディ500」で2度優勝の佐藤琢磨「ただひたすら速く走りたい、それだけです」

12月15日(火)放送『石橋、薪を焚べる』

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石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。

12月15日(火)の放送は、レーシング・ドライバーの佐藤琢磨が登場。レースの世界に入ったきっかけ、影響を受けた人物、目指しているものなどを語った。

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アイルトン・セナに魅せられ「自分もF1マシンに乗ってみたい」

1977年、東京都新宿区に生まれた佐藤は、レースとは無縁の家庭で育ったが、1987年、10歳のときにひょんなことから鈴鹿サーキットで行われた「F1日本グランプリ」を観戦する。

佐藤:知人にチケットをいただいて、みんなで応援に行ったんですよ。そのときの原体験が…あの日、僕は衝撃を受けたんです、10歳ながらに。

石橋:僕も最初にF1を生で見たときに…あのエンジン音に驚きますよね。

佐藤:いやもう、この世のものとは思えなかったですよ。

佐藤は「今でも本当によく覚えている」とそのときの光景を説明する。中でもアイルトン・セナの姿に「自分のヒーローが生まれた」、そして「自分もF1マシンに乗ってみたい」と魅せられたという。

とはいえ、自身がレースの世界に足を踏み入れるのは遅かった。

佐藤:レースを始めるのには、たくさん環境を整えなきゃいけないんですよね。コースに行かなきゃいけないし、車も用意しなきゃいけないし。それを持っていなくて。自分の身近にあって動くものって自転車しかなかったので、本当はレースしたいんだけど、できないから自転車に乗ってレースを表現していたんですよ。

「これしかない」年齢制限ギリギリでチャンスをつかみカーレースの世界へ

高校時代は、街にあるプロサイクルショップに所属して、各地のホビーレース(アマチュアレース)に出場、大学まで自転車競技に打ち込んだ。19歳のとき、自動車専門誌に鈴鹿サーキットレーシングスクールの特集記事を見つける。

佐藤:その年齢制限が20歳だったんですよ。

石橋:ギリだったんですね。

佐藤:そうなんです。それでもう「これしかない!」と。まず鈴鹿サーキットに電話するんですよね。「どうしたらいいのか」と。「まずは入校説明会があるから来てください」と。でもその年は(入校が)終わってるので、次の年(入校)なんですよね。20歳になっちゃうし。で、「レース経験はありますか」と聞かれて「全くないです」と言ったら「とにかくレーシングカートから始めてみたらいかがですか?」と。そんなところから始まったんです。その後、入校説明会に行って、カリキュラムの説明を聞いて。それでもまだわからないんですね、どうやって選ばれるのか。最後の質疑応答のときに聞いたんですね「この後、どうやって(生徒を)選ぶんですか?」と。そしたら「事前に出してもらった履歴書を見て、書類審査する」と言われちゃって。

周りは自分より若い精鋭たち。自分の履歴書は「レーシングカート始めて数ヵ月」とたった一行のみ…「100%落ちる」と思った佐藤は、再度手を挙げ「書類審査では困るので、1分でもいいから話をさせてほしい」と面接を嘆願した。

佐藤:鈴鹿サーキット側が協議した結果、「希望者は面接にします」と言ってくださったんですね。それで、チャンスをつかんだという。

石橋は、佐藤の執念と行動力に感心しきりの様子。

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鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラを首席で卒業したのち、スカラシップを獲得するなど日本での実績を積んでいた佐藤だが、ブラジルから単身イギリスに渡ったセナの道筋を追い、1998年の夏に渡英する。

佐藤:海外生活の経験もなかったですし、最初は留学生ですよ。ホームステイをしながら、語学学校に毎日通って。2、3週間に一度だけ、ジュニアフォーミュラの小さな地元のレースから始めて。1年半くらいそこのシーズンを過ごしましたかね。

石橋:それでも、すっげぇ早さで行ってないですか?

佐藤:そうですね、鈴鹿サーキットレーシングスクールに行ってから、5年でF1に行くことができましたね。

「スピード出世」ゆえの経験不足…その先で味わったF1の醍醐味

「すっごいスピード出世」と驚く石橋だが、佐藤は当時を「圧倒的な経験不足からくる失敗が多かった」と振り返る。

佐藤:もともとの性格的な問題もあるんですけど、とにかく全力で行っちゃうんです。トップを狙って。それがゆえに、例えばリスクマネジメントに失敗しちゃうとか。たぶん余裕がなかったりするんでしょうね。ほかのドライバーたちがF1に行くまで、例えば15年くらいレースをしているわけですね。で、ようやく到達するところに、5年で行ってしまったので、“ルーキーミステイク”みたいなものがずっとありましたね。

石橋:やっぱり、そうなんですか。どうしても、経験という部分は。

佐藤:そうですね。1年目は、すごく苦労して。車も“じゃじゃ馬”的で、扱いが難しい車だったんですけど、それでもシーズン後半戦はものすごく良くなっていって、最終戦の鈴鹿で5位に入賞するんですけど、あのときのレースは忘れられない。本当に車と自分が一体になったような感覚になって、ゴールしたくなかったです。ずっと走っていたかったんですよ。そういうレースをしたときに「あぁ、これがF1だ」というのを味わったんです。

「ずっとF1でやりたかった」がインディカー・レースの世界へ

F1の醍醐味を知り、以降も活躍した佐藤だが、2007年から2008年、リーマンショックなどで世界経済が傾き、所属チームがF1から撤退。「レース=F1」だと思っていた佐藤は、復帰を望み、努力もしたが叶わなかった。

「インディ500」で2度優勝の佐藤琢磨「ただひたすら速く走りたい、それだけです」_bodies

2009年、F1を知るより以前に「テレビで見た記憶がある」と気になっていた「インディ500」の視察に行った。

訪れたインディアナ・ポリス・モーター・スピードウェイで見た「予想さえしていなかった」光景が、10歳のときに初めて見たレースと同じ衝撃を佐藤に与え、その道に進ませることに。

2.5マイルのコースを200周走り、500マイルを競う「インディ500」。

石橋:それってどうなんですか?F1やってた人からしたら…退屈に見えないですか?

佐藤:あの…正解(笑)。(F1レースをしていた)僕らでさえ、そう思ってしまうところは確かにあったんですよ。ですけど、実際に見に行って、その考えは見事に打ち砕かれました。

シンプルだからこそ、緻密な計算と綿密な作戦が必要な「インディ500」の世界。佐藤は「正直言って、車のセッティングなんかも、F1より全然細かい」「(緻密さに)驚いた」と語った。

「人間って究極の喜びを味わったときは叫ぶんだなって」

そして2017年、インディカー・シリーズ第6戦「インディ500」で、日本人初(アジア人としても初)の優勝を勝ち取った。

佐藤:夢が叶った瞬間って、自分でもわからないです。レースってチームワークなんですね。ドライバーが最後にハンドルを握るわけですけど、そこに行くまでは、エンジニアが作り上げた車をメカニックが作ってくれて。レース中もピットでタイヤ交換したり給油作業があったりするわけで。試合後は無線で「ありがとう」「俺たちやったぜ!」とか「最高のピットワークだったよ」「最高のマシンだったよ」と言葉が自然に出てくるもんなんだけど、あのときばかりは、自分でも興奮状態なので、日本語も英語も何も出てこなくて、ただただ、叫んだ。人間って究極(の喜び)を味わったときは、叫ぶんだなと思いましたね。

石橋:アイルトン・セナがブラジルで勝ったときも、そんな感じでしたよね。あれだけブラジルで勝てなくて、やっと勝ったとき「うぉー!!」って確か、セナが。

佐藤:はい、一緒でした。本当にね、そうなっちゃうんだって。

コロナ禍での無観客レース優勝「正直寂しい感じでした」

さらに今年、インディカー・シリーズ第7戦「インディ500」で2度目の優勝を果たした。

石橋:2回目はどうなっちゃうんですか?

佐藤:単純にうれしいですよ。単純にうれしいですけど、今年はやっぱり、2020年って人類最大に恐ろしかったシーズンじゃないですかね。コロナウイルスでパンデミックになって、それでもやっぱりシーズンが始まって。「インディ500」は、会場との一体感がすごいんですよ。まさにアメリカの、“ザ・エンターテインメント”なんです。要するに、35万人があの日曜日のレースだけに集まるんですよ。

石橋:35万!?あそこに35万人いるんですか?鈴鹿だって…。

佐藤:はい、鈴鹿は16万人です。だから、単日開催のイベントとしては、地球一大きいイベントらしいです。

今年は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、無観客でのレース開催に。「正直すごく寂しい感じでした。勝ってもイエーイという感じではなかったですね。でも、しみじみとうれしかったです」と、コロナ禍での勝利の感想を語った。

「全神経を集中して、3勝目も全力で狙っていきたい」

「インディ500」で優勝することは、一生「インディ500のチャンピオン」と紹介され、称賛される大きな出来事だ。

佐藤は、「2回勝つというのは、本当に僕は恵まれていると思うし、運も良かったし。すべてのパズルのピースがきれいに収まらないと勝利できないレースなんです」と話す。現役で2回以上チャンピオンになっているのは、佐藤しかいない。

「インディ500」で2度優勝の佐藤琢磨「ただひたすら速く走りたい、それだけです」_bodies

「全神経を集中して、3勝目も全力で狙っていきたい」「ただひたすら速く走りたい、それだけです」と今後の目標を明かした。

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